特急「松井夫人」11号

松井夫人日記。を新しくしました。 愛知県出身。神奈川に上陸して11年。昨年5月から埼玉県に移った。名古屋弁は聞き取れるものしゃべれない。文学部英米文学部卒業だが、英語はしゃべれない。 毎朝カウントダウン占いで一喜一憂する30歳の劣等生OLの日記。 2004年の誕生日からつけているが、旅日記、日々の戯言、鉄道写真などがある。 松井夫人。の2002年から2004年までの日記はこちら⇒⇒⇒http://matuifujin.exblog.jp

2004年09月

明日から10月!


c76ef76f.jpgスクールに行くことにした。


親とも話し合っていろいろ練って10月の頭には決める。
たかが就活でスクールなんて行かなくても良いのに。なんて言う人もいるかもしれない。しかし、行っておいて損はないと思ったから。
自らの最大限の力を発揮して自分がどこまで行けるかを確かめてみたい。
その最後のチャンスかなと思った。

客室乗務員になりたい、ホテリエになりたいというちょっとした夢ももしかしたらそこで叶えられるかもしれない。

ただ一つ言えることはこれからめちゃくちゃに努力しなければならないと言うこと。地方出身者故に生まれながら東京に育ってきた人とは少し劣るかもしれない。でも人より劣っていると思ったところはその2倍、3倍、10倍と頑張っていけばいい。

就活ごときでスクールいくなんて。という人がいる。
−自分に自信を付けるためにいくのです。
私はこう答える。

鵜沼くん。頑張っている私を見てください。くたくたに疲れたとき、あなたの渋谷のバイト先に寄りますから。

おもしろいところをみつけた。


73358949.bmpスクール迷ったな。JALアカデミーという航空会社系列の学校か我究館という就活予備校か。
雨がザーザー降りで傘を取られて小さい傘をさして帰った。その帰り道に自然食品の店をみつけた。
小麦粉を使っていないパンとか豆乳スープとか。こういったものって大好きなんだよね。何か健康になりそうかなって思ったり、単に珍しい物好きなんだけどね。
お米を使ったパンてのが凄くおいしかった。長崎のかるかんってお菓子があるのだが、そのあんこを抜いた形のような味で結構お気に入り。
表参道ってまだまだファッション街とか1年生のときに結構探検したんだけど、探せば探すほど見つかるね、おもしろい店が。
ひとりで野良猫のように雨の中さまよってるのが好き。こう言うのが好きであるのが以外って言われるかもしれないけど、ネコみたいで好き。


帰り道鵜沼くん(注:インターンで出会ったステキな人のことね)がバイトしているハーゲンに行ってみようと思って足とか結構濡れてたけど、行ってみた。数メートル近くまで行ったけど、今日わざわざアイスクリームを食べても意味無いかなっておもったり、足が急にすくんで倒れそうだったし、近くまで行ってダッシュで渋谷駅まで行った。
電車の中で、飲みのときに行ったことが聞こえる。

「ナツさん、金沢より東京好き??」
−あったりまえじゃん。
「じゃあ、ナツさんって、名古屋より東京が好き??」
−もちろん。

だから就職も東京にする。私のback groundは東京なんだよ!

名目上付き合っていた人に別れを切り出した。
これでリセットボタンを押して原点に戻った。
明日から1からやり直しだ。

留学生達と無意識的に墨田区、に限らず下町は行ったことある。が意識的には行ったことない。

中学1年生のときに初めて彼氏ができたとき、彼の家まで行くのに片道900円もかかった。
2つの川を越えて、でも200円ぐらいで行けることができる。
だが、まだまだ遠く感じる。

晴れた日がこない。だからいけない。

ばてばてばてばてばて・・・。


f0e86805.bmpどうやら体調がおかしくなったらしい。

いつものように、
「まいう〜☆」と言っているぐらいの食欲がない。
ただ、いつもの夏ばてのようにクラクラは行かない。心臓のあたりが重い。

あぁ・・・。韓国に行きたい。いや、韓国じゃなくて南の島に行ってカレッドたちとドンドコ踊ってたいよ。

よし、寝よっと。余計なことは考えずに。

恋愛コンサルタントに聞きたい。


ef369eda.bmpあの彼が、いま何故か名古屋にいるらしい。

青春18切符で行ってみたいところに行った。何かどこかぶらりとするのがスキらしい。
なんかそういうの分かる。
Blogで公開しても良いのかどうかわからないのだが、
(以下、U氏が閲覧していないことを前提として話を進める。)

あの日の翌日、ちゃんと私はバイトに行った。ただ、やばいぐらい胸が苦しくて(まあ、駆け込み乗車ギリギリセーフだったからだと思うが)またまた動悸息切れ救心状態だった。

電車がもし押上行きだったら今頃心臓発作で22歳の若い命が絶えていただろう。(爆)

なんだろう、彼が名古屋にいるということを知ってから急に「墨田区八広」ってところがどういうところなんだろうとみたくなってきた。墨田区って両国国技館ってイメージしかないし、下町って感じ?そんなぐらいのイメージだとおもっていた。
でもそこに誰か気になる人がいると一気にそこの風景が変わる。
どういうところだろう。行ってみたい。何となくという好奇心とモチベーションがある。
そう言ったエネルギーってどこから出てくるのか分からないんだけど、気が付いていたらぐわーっって風林火山のように出てきて頭がごちゃごちゃになる。
明日、4限のゼミまでちょっと時間がある。行ってみたい。やばいぐらいのエネルギーが出てきた。

中世って恋愛をしている人は精神病院に行かされたという話。もし7,800年前だったら、狂人扱いされているだろう。

いまは恋愛なんて人生に何回もできるビッグイベントじゃない。ゲームでもあり、試験でもある。

就活に喩えると、1次面接突破。


泥酔・・・。


a0ac51ba.bmpインターン先の飲み会が遂に決行された。

いつもしないようなメイク、いつも付けないような香水、こういう日に限って朝5時起床。バイトに就職説明会と忙しい。
そして学校では先輩達に、
「イワナガ、頑張ってこい!」
と入試当日受験生に声を掛ける、いや、
「現状ヲ報告シ、報告サレタシ。●●を撃沈セヨ」兵役に出る軍隊のごとき応援も。

・・・たくなんでこんなに周りってフィーバーする奴らばかりなんだ!?

渋谷ハチ公前に着いたときには、いなかったが、友達を捜して帰ってきたときにひょこっと出てきた。
−そうだ。インターン先で出会ったあの人が来たのだ!
ただでさえ疲れていたのでふらふらだよ。でも1時間もすると普通に日本酒呑みながら喋っていた。
すると、うちらが呑んでいる部屋に、
「イワナガさ〜ん!頑張っているか!?」
なんとS先輩が来たのだ。
・・・こんなときに来なくても良いのにさぁ〜
私は必死になって先輩を説得してなんとか事なきを得たが、その分酔っぱらった。
もっとへべれけになっている人がいたのでまあ、大丈夫だったが、12時50分、田園都市線で彼を送ってその瞬間フラ〜っと来てしまった。
その後、やばいぐらい酔って倒れそうになり、家に帰ってそのまま倒れた。




約6時間後、起床。何か分からない夢を見ていた。テレビでの静止画像みたいに川の風景が出ただけで私が、やけに甘いアイスクリームを食べていた。
何が起きたのか分からなかったが、無意識のうちに決定的なことが起こっていたらしい。
昨日あったことは友達と会った。酒を飲んだ。田園都市線で帰った。そして彼に相手がいないことだった。
そして帰り道に何かしら彼に好意を示している的なことを言ったらしかった。
それ以外は全く覚えていなかった。

運動会。


ad306345.bmpこの時期になると運動会の音が聞こえる。そしてレポートに追われている私はつい耳をそばだててしまう。

運動会。小学校4年生のときに初めてリレーの選手に選ばれた。その年は子ども会議石川県代表にもなったりして凄く自らにとっては活躍したなって年だった。

そんなかんだで運動会は凄く思い出深いものになっている。
小学校4年生のとき。学級対抗リレーという物に出場した。各クラスごとにはちまきをしてひとり100メートルを4人で走る。私は第2走者だった。走るのはそんなに早くはなかったと思うが、偶然選ばれて近くの川の土手で先輩と練習した。
そして当日、午後からだったと思うが、緊張していてお昼をあまり食べられないまま決戦の日が来た。
リレーのとき、第2走者が待っているウェイティングゾーンに私は待っていた。足がすくんでがたがた震えた。
第一走者が走ってきた。そして瞬間的にバトンを貰う。そして走った。その瞬間私はこけてしまった。
−やばい。
松井夫人。的負けじ魂が生まれた。くそぅ。残りの80メートルぐらいを全力疾走してトップでバトンタッチ。チームも優勝した。

嬉しい!!けど痛い。
私は足から大量出血していて靴下が血だらけだった。。どうやらこけたところに古釘があってそれが深く刺さっていた。そのあと救護室に行った。
膝にデカイ傷があるが、そのリレーのときである。釘が刺さったところがちょっとケロイド状になっているがいまでは勲章。
そんな思い出があった運動会だった。

ハッスルハッスル!


cf9a69d6.bmpストライキを経て野球が再開された。ここの写真の野球少年も相当野球をやりたがっているだろう。
上原が先発し、勝利を収めた。まだまだ中日、油断はできないぞ。
そうそう。巨人と中日はいつも良いところで勝負をしているからね。
1994年の10・6決戦も、
1996年の10・8決戦もどちらも「巨人が優勝」
まだまだ望みが繋げる。
頑張れ。巨人。チャンスはあるぞ。

こっちも9・24決戦がある。インターンで出会ったあの人を含めた飲み会を自らが提案したのだ。
みんなホイホイ乗ってくれて幹事としての私も嬉しい。
ああ、緊張する。多分彼の顔を一目見た瞬間、








昇天・・・。
松井夫人。心臓発作にて死去。享年22。
アーメン・・・。


とならないようにしますね。ハッスルハッスル。

ふと思ったこと。


5f3fc3c2.jpg就活が間近に控えている。

朝日新聞beでの「複職時代」を読んで思った。
23歳の男子学生。大手企業に内定を貰うも好きなダンスがやりたくて内定を辞退。フリーターへ。
36歳の女性。結婚もしない。そして派遣社員の立場で何度も正社員にならないかと言われてきた。でも好きなフラメンコをやりたいから結婚もしないし、正社員にもならない。

ううん・・・。と思った。社会人をやりながら劇団員とか交響楽団員になっている人がいる。
でもそこまで仕事よりも趣味を優先させたいのかな。と疑問に思った。社会に出たら趣味よりもやるべきことがあるのではないか。
私もボランティアは社会人になっても続けていこうと思う。でも東南アジア青年の船を会社を辞めてまで参加している人がいた。そこまではしたくない。

趣味と仕事の両立って言うけど、仕事をなくしたらどうやって生活していけるんだろう。
キャリアよりも趣味を優先させてフリーターになる人もいる。

野球界の悲劇


46f1f1e0.bmp18,19日の野球がなくなった。遂にストが決行された。

日本のプロ野球、これからどうなるんだろう。と野球が好きな友達とメールしあった。なんかいままで膨張していたプロ野球の世界がバーンって破裂したようだった。

野球ファンになってしまったのは中学校のとき、当時の担任の先生に連れて行ってもらって一気にファンになった。高校時代は部活の合間に週間ベースボールを買って投稿をしていた。上原浩治選手のファンになり、ファンクラブにも入った。ジャイアンツのファンクラブにも入り、毎日のように野球を見て、毎年のように甲子園に足を運んだ。

私の趣味が「野球観戦」になって久しい。いつも身近にあるbaseballがストライキ。

この日を境に何かが変わって欲しい。巨人以外にもチームがある。そして新規参入もして欲しい。
何か変わって欲しい。

☆緊急ニュース☆


c23b72b8.bmpスト交渉が決裂し、遂に週末にもスト突入か。

これで中日の優勝の夢も、上原のタイトルの夢も・・・

あああ・・・。

立ち直らない。


9fe1036b.jpg大大大失恋から2日。
松井夫人。は依然食欲がない。









いつものようにインターンに行くが、やはり失恋のショックは大きく松井夫人。は髪をまっ茶にした。
・・・バイト先のサ●ックスの塾長がどういうか心配だが。
失恋をして髪を切る。ただ、髪は女の命的我がロン毛を断髪するのは死んでも嫌だからまっ茶にした。
これから就活が始まるので短い間の茶髪だが、まあいいか。
ライブドアに続き、楽天も球界に参入する。
そして今週はストが来るのか。

インターンふたたび。


883c626c.jpg最高裁判所司法研修所というところでインターンをしている。インターンと言っても雑用で判例の書類を集めてまとめてそれの校正をしたり、一般事務をしたりパソコンで文書を打ったり、結構デスクワークってキツイ。特に校正なんて目玉が落ちてしまいそうなぐらいつらい。
あああ〜@@@じっとしてるのってこんなにつらいものとは思わなかった。
でもグループワークとは違ってマイペースにできるところが良いよね。ぼ〜っと何かを考えながらやれるし、(実際は真剣にやってるけどね)
東京でやったり埼玉まで行ったり移動は凄いけど、それがまた好きなんだよね。アルバイトにシロインターンにしろ、入ってくるお金と同じぐらいに「おもしろい」のを条件にしている。たとえ通勤に1時間かかろうともおもしろいと思ったらやっている。
1日だけのバイトだったら横須賀に言ったり、千葉に行ったり、箱根に行ったり、いろいろいっている。鉄道マニアじゃないけど、地図を抱えていろいろな電車に乗って初めての所に行くんだよ。たまらない。時々時間にギリギリになって焦ってるけどそれも冒険。そう言った初めてのところに探検しつつそこでのローカルの人と出会いをみつけられる、通勤に1時間とか1時間半とかかってもそれ以上の価値を見いだせるなら時給低くても交通費でなくても良いな。インターンもアルバイトってお金稼ぐ以上にいろいろな価値見いだせるものじゃん。
わざわざ栃木や群馬や埼玉に行ったりしてよく頑張るねって言われるけど、別に頑張ってない。なんだろう。私は単に今までいったことのないところに行っていろいろな探検をしたいだけ。
今回のインターンもいろいろ発見をしている。

またまた何かインターンとかバイトがあったらグループワークが良いなぁ・・・。ひとりぢゃさみしいよう・・・。

AYM・LYなっち〜その7〜


a1380e9a.jpg<>fcf26f2d.JPG小学校から戻ってきて、終了式と今日で帰るローカルユースたちを見送った。今日で静岡や大阪に帰ってしまう人がいる。たった2泊3日だが、ほんと楽しかった。アンケートにいろいろなことを書き、来年も是非やるぞという意志を見せた。

私たちは8日まで泊まる。帰り行くPY達のチェックアウトの手伝いをするために。

そして最後の日。チェックアウトを終わった私たちはPY達を見送った。ファイがいた。お互い抱き合った。彼女から指輪を貰い、写真を撮った。ソーからもおみやげを貰った。多くの写真を撮り、数多くの人と握手と抱擁を交わした。最後にカレッドに会った。涙が出そうだった。
バスに乗り込んでも私は大声で応援団みたいに叫んでいた。

たった数日の間で「来年も何かしらの形で参加するぞ。」という強い思いができた。今年の2月に偶然に、繰り上げ合格で受かった留学生のチューターをやっていなければ今はない。そう言った偶然の積み重ねによって今が成り立っているのだ。
よさこいをしよう。という案がある。みんなで何かを、何か大きいものを作り上げたい。そして協力してくれたSG−Eのみなさん、どうもありがとう。そしてみんな、みんな、どうもありがとう。

AYM・LYなっち〜その6〜


18bc3218.jpg8d2b7d90.jpg小学校訪問

昨日の夜のどんちゃん騒ぎ、叱られたこと、その後いろいろ考えたことを同じ部屋のことずっと喋っていて殆ど寝られなかった。
しかし朝食の時間の1杯のコーヒーでしゃきっとなる。今日は小学校訪問である。新宿区立落合第一小学校に行くのだ。
8月の終りに事前に下見に行って話し合った。ちっちゃい学校だなと最初にそう思った。
そして何よりも驚いたのは校庭が土ではない!
近頃の小学校はだいぶ違うのね・・・。
レクでわいわい騒いでいたら着いた。たくさんの小学生が出迎えてくれた。
そしてミーティングのあとの休み時間に小学生と遊んだ。
小学生はとにかくかわいい。ポロシャツにジャージといういわゆる「体育の先生」的格好をした私は小学生に囲まれた。ドッヂボールをしようと誘われ、そして1年生の所に行ったらわっと私の身体にしがみついてきた。とりわけある1年生の女の子がメダカの観察をしていたり飼っているハムスターを見ているときも終始背中に乗っていた。
私たちの担当は4年1組である。2時限目からいろいろな教室を回った。4年生たちは茶道、日本舞踊、和太鼓、そして手作りうどん作りという日本文化紹介をやっていた。
「総合的な学習の時間」が文部科学省で取り上げられて久しいが、これが勉強面においてマイナスになるという声が出ている。しかし、私は彼らの演技を見て私もこういうことをしていれば良かった。と思った。
私は教育大の付属小学校に通っていたが、毎日が勉強勉強に追われていた覚えがある。こういった国際交流を深める会はあったもののプレゼンをすると言った真面目なものに過ぎなかった。茶道や日本舞踊などなかなか小学生がやっている機会が少ないものを小学生のうちに経験するということは凄いことである。これがきっかけでやり始める人もいるかもしれない。
勉強も頑張って欲しいが、勉強以外のことをもっと頑張って欲しいと思った。勉強以外にことで、人生に必要なものとか学べるんじゃん。こういった総合的な学習の時間をもうけることによって勉強以外のことで何か好きなことをみつけられるきっかけができると思う。
東南アジアの青年たちとも学校のことについて話した。彼らの場合、小学校は制服があったり、4年制だったり6年制であったり様々だが、農村の小学生はなかなか学校に通えないらしい。その分勉強その他のこと、つまり学校に行くと言うことに対する熱意は凄いものだった。高等教育に進むことができる人はほんの一握りで、カレッドらPY(東南アジア青年の船参加青年)はかなりのエリートということになる。私は一番だれているときに小学生だったのかなってふと思ったりした。
給食の時間にはカレッドたちと小学生とワイワイ喋っていた。しかししばらくすると周りの空気が違った。食べ終わったあとのミーティングルームで何人かのPYがぐったりしていたのだった。
その瞬間、うわぁ!と思った。
カレッドたちムスリムは豚肉を食べない。豚肉というと豚肉のショウガ焼きとかチャーシューなどを思いつくが、ラードやハム、ベーコン、さらにそれらのだしなどもいけない。今日の給食には野菜スープとグラタン、パンとフルーツ、牛乳だったが、スープとグラタンにはベーコンが入っていた。事前に給食についてはムスリムやベジタリアン達がいるので考慮して欲しいと言ったが、私たちもベーコンがいけないということに対しては気づかなかった。
彼らに対する軽食を頼んで、なんとか一件落着したが、重い気持ちになった。彼らとお私の間でちょっと溝ができたような気がした。私たちが日頃気が付かないようなことにたいして気を使ったり、逆に私たちが結構気にしていることに対してさほど気にしていなかったり、文化や習慣の違いって今まであまり認識していなかったが、今日で凄く感じた。

AYM・LYなっち〜その5〜


8288c330.jpg0a9711a7.jpg2日目

いろいろ全身に激しいショックを受けた私たちは外で大騒ぎをしていた。タイ、シンガポール、ラオス、ブルネイのカレッドも誘って飲み会をやり、酔っぱらった青年達は歌いあれ踊りあれワイワイ騒いでいた。
時間が12時を回っていた。相変わらず騒いでいた。
警備員さんに見つかってしまい、事務局の人にこっぴどく叱られて寝たのは3時。

度が過ぎたどんちゃん騒ぎをしてしまった。
明日の小学校訪問は今日の借りを返すぞ。

寝たのは3時だが、なかなか寝付けなかった。JPYという東南アジア青年の船の日本代表の演技に圧倒された。凄い!って軽々しく言えない。私には凄い!を越えた演技であると同時に、この瞬間、「来年はJPYになって船に乗り込むぞ!」という強い意志ができた。
そしてまた彼らに対する羨望のまなざしとちょっとの嫉妬心で複雑な気分になった。
ある時はスチュワーデスのような、ある時はオリンピック日本代表のようなステキなアタイアに身を包み、明るさとパワーでは誰にも負けない自負を抱いた彼らを見て近づけなかった。ステキだと思いつつ、彼らみたいになりたい。という気持ちが多かった。大多数は社会人や大学院生だが、ひとり19歳の女子大生が参加していることに驚いた。このプログラムに参加するためには各県での試験、それもかなり難しい試験を受けなければならない。このローカルユースの中ではその試験に落ちた子も数人いた。そして大都市圏では志願者が殺到するためかなりの決戦区になるのだ。本籍で受けるとなると愛知県代表になるが、それにも打ち勝つように頑張るぞ。そして今年残念ながらその切符を手にすることが出いなかった子たち、来年頑張ろう!と思った。そして彼らの前で軽々しくこのことを言ってはならないと思った。

AYM・LYなっち〜その4〜


ace6aefe.jpg−最高の思い出−
日本バカの団扇をカレッドらに見せていたら、タクというSG仲間がタイの友達ができたと来た。名前はファイ。凄くかわいい子である。年が同じで英語を習っているということで意気投合してその会が終わってもふたりで喋っていた。
「タイの民族衣装を着たい。」
私はファイに言った。
ファイは大喜びして、
「2つあるんだけど、どっちがいい!?ひとつは窮屈だからお勧めしないけど。」
「どっちでもいいですよ。タイの民族衣装が着られるんなら。」
私は感動した。急いでファイらのいる部屋に行って着替える。
着替えようとしているのに4人がこっちを見てくる。
いやぁ〜恥ずかしいっす。と思いつつドレスアップした。
「メイクもして上げるよ。」
と数分後、完全に東南アジアに同化した私がいた。
タクも民族衣装に着替えていて宿泊棟の玄関で待っていた。
この瞬間すっごい最高だ!と感じた。今まで生まれてきた中で凄い経験の上位には絶対入りそうな瞬間が来ている。いろいろな仲間に見られて、写真を撮って、ワイワイ喋って凄く良かった。ここではタイ、ブルネイ、シンガポール、インドネシア、フィリピン、カンボジア、ベトナム、ラオス、マレーシア、そして日本と11の国の人たちが来ている。その中でちょっとみんなが同化したなという瞬間だった。

−またまた凄い経験−
感動に浸っていた私は腰の中で何かふるえている感触を感じた。
−携帯が鳴っている。
我に戻った私は、宿泊棟の談話室に走った。
知らない携帯番号だしだれだろう。
「もしもし、岩永です。」
その瞬間うあ〜!!!と頭の中が真っ白になった。
あのインターンで出会った彼だったのだ。
「いや、なんだろう、飲み会俺が良い場所探したんだけど。どう?」
私が飲み会を開催するという話はあったが、メーリスだし、彼は私の電話番号をどこで見たんだろう。
タイの民族衣装を着ている私はふらふらになった。
ずっと喋っていた。ファイが後ろで何か嬉しいことでもあったの??と聞いてきた。ファイにも少し話した。
彼は誰か友達数人といるらしい。なんだろう。と思いながらいま東南アジアのこと合っていて、これからパーティーがあるのでと言った。
飛び上がりたいぐらい嬉しかった。
何言っているのか分からないくらいきゃーきゃーファイと飛び跳ねていた。

−もっと凄い経験−
ASEANのメンバーである青年らと私たち日本代表は夜に「交流の夕べ」というパーティーが出た。ドレスアップした私たちは目の前にあるおいしそうな食べ物にうっとりしていた。
もりもり食べているとパフォーマンスが始まると招集が始まった。そう。うちら日本ローカルユースたちは「幸せなら手を叩こう」を大合唱でやるのだ。
発表をしているとき青年達は一緒になってくれた。そして11カ国みんなが一体になっていた。
この瞬間、心の中で最高だぁーっ!って叫びたかった。

AYM・LYなっち〜その3〜


2cf0d767.jpg本日はいろいろなことを話し合った。ただ、「話し合う」ことが日本とまた違う。一挙手一投足に”Yeah!”や”Wow!”などなにか拍手喝采なりブーイングなりが来る。
よし、彼らに日本語を教えよう。と思った松井夫人。
そして私がふと漏らした「これはおみごと!」という言葉をカレッドは完全に気に入ってしまい、
「コレハオミゴト!ホイホイホイホイホーイ!!!!!!!!」
彼流にしてしまった。そして彼らは私が口にする日本語をどんどん歌にしていきグループで歌っていくのだ。これはカレッドの特技であり、天性である。見た目はヤクザの親分であるが、おもしろさとエネルギッシュを兼ね備えた凄い人である。
午後は日本文化体験プログラムをやる。ダンスをしようとカレッドのあとをついて行ったら、同じローカルユースに、
「Caligraphyやってくれない?」
か、カリグラフィーって!?
フタを開けたら習字だった。
「ナス、漢字教えて。」
この頃になると大体のSG仲間とは仲よくなっていた。そしてナツだと教えたのだが、
ニックネームの「なっち」は向こうの人たちにとってはものすごく発音しにくいらしく「ナツ」と教えたが、「ツ」の発音もあまり無いらしく大体の人が「ナットゥ」。
「納豆」じゃないんだし・・・。納豆はやめてよ・・・。と思い、「ナス」になってしまった。「ナス」・・・。なすびかよ。
ま、納豆もナスも大好きだから良いけどさ(笑)。
ナスは青年達に書道を教えた。だが、漢字で書きたい。ノハナという女の人には「野花」とか無理矢理漢字で書いたりもしたが、ムハマドとかどうやって漢字で書いたらいいのか。かなり苦労した。
少しの時間でミニ団扇を作り、青年達に見せた。
「日本バカってなんですか?日本はバカじゃないですよ。」
そういうイミではなくて、Japanese Freakですが・・・。
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AYM・LYなっち〜その2〜


1161d39a.jpg50db8464.jpg彼はブルネイ・ダルサラームという小さな国から来た男性だった。名前はカレッド。
本名はAbdullahled Bin Haji Morniってかなり舌を噛みそうな名前だが、彼がもの凄くノリが良かったのだ。最初に教育についてのミーティングがあったのだが、歌い始めたり、みんなでワイワイ騒いだりして楽しい楽しい。
東南アジアの人は生真面目で働き者って一昔前の日本人のイメージがあったけど違う違う。彼らはとてもノリが良く、歌ったり踊ったり、そしてとにかくみんなが明るい。
私は終始ビックリしていた。
日本、これで良いのか!!
私は終始彼らのエネルギッシュさに圧倒されていた。

プレゼンテーションの時も我が班の盛り上がりは凄かった。私が時々おどけて見せたりすると一緒になって乗ってくれる。日本人だとまず有り得ないことである。そして彼らは人に見られることに対して全く恐怖心がない。こんなことでびくびくしているのは日本人だけではないか。そしてそのプレゼンに対しても質問が凄かった。質問というよりかはコメントって行った方が良いかもしれないけど。
私のグループは一番最初に会ったんだけど、カレッドがみんなを盛り上げてくれて凄い楽しいプレゼンになったよ。
こいつは盛り上がれるな。私は安心した。

ご飯はバイキング式で好きなのが選べる。そしてとにかくおいしい。元気にワイワイ騒いでしまった分お腹が凄くすいてガツガツ食べた。
部屋は4人部屋。早稲田生の子で愛知県人発見!!
インターンで出会ったステキな男の子の話をした。そして向こうもいろいろ話した。

気が付いたらかなり遅くまで起きていた

AYM・LYなっち〜その1〜


a69a98ea.jpge6e86d15.jpgAYM・LY。いったいなんだんだこれ!?と思った人が殆どだろう。正式名称は「アジア青年の集いローカルユース」である。内閣府が青少年育成のために国際交流事業として開催されたものであり、「東南アジア青年の船」の参加青年達を受け入れてともに活動していくのである。参加青年とローカルユースは各種交流会をともに行動することによってお互いの友好と理解を促進し、合わせて青年の国際的視野を広げ、国際協力とリーダーシップの精神を身につけ、涵養させるものである。
ってすっごく難しいこと行ってしまったけど、とにかく東南アジアの人たちを交流を図ることによって自らのモチベーションを上げることなのだ。
これを知ったのが留学生のチューター本部である大学の国際交流センターで、とりあえず受けてみようと受け、偶然受かって、参加することになった。内閣府の主催、すなわちちょっとして「日本国代表」になるのでお金はうちらの税金からまかなわれる。3泊4日という短い間だが、とにかく濃いスケジュールである。

場所はオリンピックセンター。そこがまたまた凄いんだ。今から約40年前の東京オリンピックで選手がとまった選手村だったんだからとにかく凄い。

私はSG−E(Solidarity Group-E)というグループになり、運悪くリーダーになってしまった。東南アジアの青年達を統率し、イニシアチブを保っていくのは松井夫人。に取ってはかなりのガチンコである。
途方に暮れた私は同じSGの青年達のもとに行った。そこであるひとりの男性が暖かく迎えてくれた。
〜続く。

落ちたりんご


503f1f0b.jpgダイエーやイオンで台風の被害にあったりんごの格安セールが行われている。台風で実が傷ついたりしたものは通常のルートでは販売できない。そう言うわけでこういった小売店が一括買い取りをして格安で売るわけである。
傷ついたり痛んでたって青森県産のリンゴはおいしい。見た目で選んではいけない。
ここにあるりんごははらして無事だったのだろうか。そして収穫時期に立派に選ばれたりんごとして出荷されるのだろうか。

りんごも人間もこう言ったところでは同じような気がする。
台風という選抜試験に打ち勝った強いりんごが選ばれたものとしてりんごの勝ち組として高い値段が付けられるのだ。

野球界の悲劇。


6ea09b01.bmpドラフトで選手に金銭授受があったとかで
責任を取って巨人の渡辺オーナーが辞任した。

巨人がパ・リーグにいく噂が立った。

ストライキをするかもしれない。

日本の野球が危機的状況に瀕している。私の先輩が「野球の未来を創る会」に入っているが、私も一野球ファンとして何かしらの形で関わりたいなと思った。
先月、田原総一郎さんの野村克也さんの討論会でプロ野球のいろいろなことを話し合った。そして私も後輩と見に行き、いろいろ意見を言った。
野球好きの友達からもいろいろな意見があった。
「セ・リーグ
巨人
中日
ロッテ・ダイエー
横浜
ヤクルト

パ・リーグ
阪神
日本ハム
オリックス・バファローズ
広島
西武
でシャッフルし合う」
また、合併は避けられないという案、近鉄とオリックス以外にもロッテとダイエーが合併交渉をしているという案。
そして私は「経営が悪化している球団をライブドアなど出資したい球団が助けるという形で共同経営球団を作る。」
と発言する。
ただ、それだけでは行かない。「強い」位置にいる巨人には分からない、常にBクラスで低迷している球団のファン。
彼らはシーズンが始まる頃にしか希望を持てない。実際に
現在のプロ野球界は、巨人中心で、
有力選手が巨人など資金的に有利な数球団に限られてしまうのがそもそもの問題だ。とりわけ弱小球団はとにかく負けまくって(98年のロッテとか)野球離れが言われてるけど前述した球団のファンって夢がもてないと思う。
毎年、シーズンが始まるまでしか夢がもてないし実際にシーズンが始まると木端微塵に負けるだけで。
バカバカしくなって野球を見るのを止めるのも仕方ないかなと思う。
私が巨人を好きになった理由は純粋なものであり、もしかして巨人ではなかったかもしれない。そして私は巨人以外にもいろいろ好きな選手がいて、いろいろな選手のプレーを見て楽しんでいる。ここでいきなりストライキされたら嶋選手の記録も上原のタイトルもなくなっちゃう。それがサミシイ。
オリックスは阪急がオリックスに回収されてできた。イチロー選手が大リーグに行って弱くなってしまった。近鉄は中村や岩隈など有力選手はいるものの話を聞いているともともとあまりいい球団とは言えないみたい。野茂の退団騒動みたいに結構問題起こしたみたいだし。近鉄とオリックスの合併は避けられなくなってきたかもしれない。
今までこういった問題はナベツネによって押さえつけられていた。というよりかは古田や立浪と言った頭脳派のプレーヤーが台頭してきて、選手自らが自分の意見を言えるようになってきたんだと思う。今までは泣き寝入りだった選手達も合併すると言われてすぐに納得がいかない。と思い始めてきた。野球だけをやっているだけではない。ただプレイをするというひとつの行為に縛られてこき使われることなく選手もひとりの人間として動いている。しかし、現場の選手の意見は通らず、野球を知らないオーナーが、辞めてもさえ彼の決定に実質的に従っている。それはいけないことだ。
2ヶ月間で何が変わったんだろう。プロ野球界の根本を変えなければならない。いつかはまたどこかの球団が合併する。先延ばしにしてはならないと思う。
年俸はFA制を導入してから高騰した。赤字は逆指名ができてから膨らんだ。あるオーナーの言動に振り回され、それを止められなかった他球団のオーナー達。頼みの巨人も今年は中日にだいぶ差を付けられている。このまま野球界が衰退しても本望かもしれない。それに気づいてももう遅い。
これからの野球界の未来はどうなるんだろう。




エリザベート


817248e1.bmp1月遅れの誕生日祝いということでママンと見に行った。生まれて初めてのS席。すごいよかったですね。周りの服装がまず違う。
http://www.chunichi-theatre.com/presents/8gatsu/8gatsu.html
イギリスやアメリカだとブロードウェーならもちろん、オフ=ブロードウェーでも感激するときはバリバリの正装で決めるそうだ。そこまでは行かなかったけど、かなりの正装で行った。
イギリスの「シカゴ」ほどではないけど、とにかく演技は凄い。今まで何かしらミュージカルは見に行ったけど、凄いね。
エルマーにはすこし??って感じた。時々コミカルな演技をしたりしてあたしの思ったイメージとは違ったのかな。そして幕間に名古屋弁らしき(?)ものを喋ったらしく、おいおいおいおい・・・。と思いました。演技自体は最高だったんですけどね。
あたしはエリザベートにほれぼれ。一路真輝さんだったのでとてもステキでした。エリザベートってああいうタイプなんだなぁ・・・。ってうっとりしてしまいましたね。
名古屋ってあまり芸術が芽生えないとされるんだよね。名古屋ボストン美術館もかなりの大赤字だし、芸術や本と言ったものの人出や出版部数は大都市圏では一番少ないらしい。どちらかというと無形のもの(芸術や美術)よりも有形のものに興味を抱く傾向があるみたい。それが、東京の人から見た名古屋の結婚式が一番如実に表してるけど(あたしんちはそんなことないからね(笑))。そういう名古屋でも、こんな大きいのやるということでかなりの人出でした。
内野聖陽の死の帝王トートもまた良かった。そして翌日のとあるテレビにも内野聖陽が出ていた。
−数十年前に人気を博したテニス漫画「エースをねらえ(http://www.tv-asahi.co.jp/ace/index.html)」のテレビ版でのあの宗方仁コーチであった。

東京帰還。


80b9b487.bmp新幹線の中で爆睡。気が付いたら品川。
そんな感じだった。群馬や栃木や千葉や東北に行って来たけど、やっぱり東京が好き。アンチ東京の父が「東京は人の住むところではない。」と言うけど、やっぱり東京は良いところだ。
そりゃ人混みにもまれて常に混雑状態だけど、そこがまた良いのだ。
実はたった数日だけど名古屋に帰った。おかげでまたまた金欠だけど、親からお小遣いを貰って少し安心。家族と旅行に行ったし、車の運転をめいっぱいしたし、おいしいものをたんと食べたし、とにかくわがままし放題だったけど、こんなことができるのは学生時代だけだろ。
東京に出て独り立ちする!!って完全に決めてるけど、心底親はサミシイかもしれない。まあしょうがない。個人的見解として社会人になってまで親にしがみついていたくないってのがある。
どうだろう、この気持ちがいつ続くんだろう。

当分の間いろいろな写真をupしたので、これから随時載せていく。

インターンシップで思ったこと。


86265814.jpg最近の小学生ってひ弱なだぁ・・・。ってまず思った。まず朝ごはんを食べない。話を聞くと「親が作ってくれないから」親が仕事で忙しいのか。いやそれだけではないらしい。親自身も朝ごはんを食べる習慣がないのだ。
朝ごはんなかったらワイ、生きていけないぞ・・・。と小学生の残したものを片付けながら思った。だから山登りしただけですぐ息切れしたりぐったりしたり貧血起こしたりする。とりわけ女の子がやばい。ダイエット思考で食べないのだ。
ある本に「背筋力検査廃止。腰痛を訴える児童生徒急増が理由」
体力がないという以前にやばいぜこいつら。ワイだって体力は平均値超えてやったーってぐらいないけど、こいつらなさすぎ。一部の体育会系少年たちが少ない。そして仲良くなったのも無理してませてる女の子たちよりも体育会系の元気な少年たちが多かった。
そして次にパソコンや携帯の知識は凄いのだができないことが多いのだ。虫を捕まえて見せると逃げるんだよね。びびったぁ・・・。ワイは田舎で育ったからなんとなくわかるけどおいおいって思った。また、のこぎりを切ったりするのも初めてだったり、小刀で鉛筆を削ったりするワイを見て目を点にしていた。そんなに凄いことかなぁ・・・。
両親が年を取っていたり祖父母と同居していたりするとなんとなく分かることがあるが、今はそうじゃないんだよね。親の代からやばい人多いし・・・。
男友達でネクタイを父親に結んでもらわないとできない子がいる。女の子でスカーフ結びどうやるの?ってきいてくる子がいる。ワイだって不十分だけど何とかできる。
機会社会になって「必須」項目しか手をつけなくなりつつある。自らも東京で免許を取ったが運転することが「必須」ではないのでペーパードライバーである。すべてのことが必須じゃなければ誰でもやらない。
片付けない女とか渋谷で徘徊する若者とかここから出てくるのかな。
インターンシップでいろいろなことを考えさせられた。最近のガキたちはかなり悪い方向に進んでいるかもしれない。

東北だよーん☆


8229f6c0.jpg東北を3日間まわった。ここ数年の家族旅行はもっぱら貸しきりタクシーのツアー。観光バスでは行かないところ、行きそうにもないところではないところ、つまり穴場を巡るのが好きだ。そしてとにかく遺跡や寺社仏閣、教会、美術館、松井夫人。は「意外にも」こういったジジくさい、ババくさいところが大好きなのである。観光バスってガイドさんの話を聞くのが結構酷!!若い新人さんだったらいいけど、おばさんガイドでくさい話をされたりしまいには歌い始めたりしたらたまったものではない。そのときは松井夫人。は外の世界とのコミュニケーションをあえて避け、自分のカプセルに閉じこもるために音楽をガンガン聴くのだ。でも日本人ってこういうのがあると無意識に参加しなければならない義務感ってものがあるじゃん。さらに「全員参加型」のゲームやカラオケがあって凄いそれがいやでいやでたまらない。
人は人。自分は自分。寝ていたって窓の外を見てボーとしていたって音楽聴いていたって友達としゃべっていたって勝手じゃん。なのにそういった日本的集団主義を押し付けるべくバスレクリエーションは今の時代古すぎる。皆でハイキングの歌を歌いましょう♪ランラランララーン♪なんて軍国主義丸出しだよ。会社での旅行やインターンシップなどいった社会的なものやよほどstrictな体育会系の合宿や応援団なら別として普通の私的な合宿ではこういうのはあってはならない。社会的要素が含まれていたり体育会系の合宿などはそれなりの心構えができているが、あくまでも「個人」が楽しむ旅行にけったいなバスレクリエーションを持ち込むのはどうかと思う。もっと「個人の楽しみ」を大事にしようよ。
バスレクリエーションは日本人だけしか通じないものではないかと留学生たちとの日帰り旅行でわかった。音楽を聴いている、寝ている、友達としゃべっている、車窓の風景を眺めている。皆好き勝手なことをしているけど、それでいいじゃないか。個人個人のカプセルに入ってリラックスしているんだから。そういった個人の領域をわれわれの陳腐なバスレクリエーションでつぶされ、かなりのブーイングを喰らった。大の大人、そしてそこでゲームなんて非常識、個人の自由にすればと私は思う。
外国の人は、そして私も個人主義の考え方を持っている。200近くある国々の中で軍隊みたいに不必要に集団主義を押し付けている民族は日本ぐらいであろう。小学校とか「ウォークマン持ち出し禁止」とか言ってるけど、そんなもの禁止したってどうにもならないと思う。『現代っ子は個人主義的考え方を持っている、締め付けるならもっとほかのところで締め付けろよ』って先公みたいな言い方になってしまう。
ねぇ、もっとみんな頭柔らかくしようよ・・・。
livedoor プロフィール

we-are-reds0729

関東在住12年目。
野球とサッカーと旅と電車(特に私鉄)とグルメが趣味。
野球の贔屓は巨人だが、選手レベルで好きなため、どのチームの試合も好んで見ます。
サッカーは浦和レッズ兼モンテディオ山形のサポーター。年間チケットを手に、年間20回は埼玉スタジアムで飛び跳ねています。好きな選手は槙野智章と原口元気。

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