夕日に沈む団地で布団をたたく音がこだました。
10棟以上はあるだろう。団地の中は生活の営みがなされている。
スーツ姿のわたしは、じっとみつめていた。
家族連れが多い街だった。
緑の多い街だった。
わたしは、なんか元気が出てきた。
元気の出るもの。川、空、そして団地。
キャリアより家庭なのか。
午後半休のときに、はなまるマーケットを見るだけで、昼メロをみるだけで今日は残業頑張るぞという気分になる。
こういう考えをするのは、わたしだけだろうか。
松井夫人日記。を新しくしました。 愛知県出身。神奈川に上陸して11年。昨年5月から埼玉県に移った。名古屋弁は聞き取れるものしゃべれない。文学部英米文学部卒業だが、英語はしゃべれない。 毎朝カウントダウン占いで一喜一憂する30歳の劣等生OLの日記。 2004年の誕生日からつけているが、旅日記、日々の戯言、鉄道写真などがある。 松井夫人。の2002年から2004年までの日記はこちら⇒⇒⇒http://matuifujin.exblog.jp
30男なぜ結婚できないのか | |
(ゲンダイネット - 01月28日 10:00) |
なるほど、これでは少子化が進むはずだ。昨年末に発表された最新のデータ(05年版国勢調査)で驚くべき現実が浮き彫りになった。30代前半男性 の2人に1人(47.1%)が独身で、同じく女性も3人に1人(32.0%)は独り身だったのだ。確かに周囲を見渡すと、30代の独身男女がゴロゴロい る。彼らの親世代が所帯を持った30年前、40年前にはこんなことは考えられなかった。結婚がすべてとは言わないけれど、一体なぜ30代は結婚できないの か?
●家庭より自由な付き合い
「結婚? ダメっすよ。家庭を持ったら自由に遊べないでしょ。たとえば、今夜友達にスキーに誘われたって即答できないし、合コンだってパス。遊びが制限されるくらいなら、ひとりのままの方が気が楽です」(33歳の営業マン)
現在の“友達付き合い”から外れるのが怖いのだ。「一度断ると、連絡が来なくなる」とも言う。人付き合いの輪など、年齢や会社でのポジション、住む地域によって次々に変わるもの。生涯の伴侶より大事だとは思えない。たかが携帯とメールでつながるグループではないか。
●妻よりモノ
「30代の男たちはオタク的趣味の世界に金を使いますよね。流行のブランド時計を買い、人気のブランド服を揃える。友達と同じものを着て安 心し、周囲と同一化することによって存在確認をする傾向が強い。人からどう見られるかが最大の関心事で、人間関係を突き詰めたり、人生そのものを考えるこ とは容易にしない。人格的に子供で、夫婦関係を築くどころの話じゃありません」(日大教授・松野弘氏)
人間関係が面倒くさいのでセックスはフーゾクで済ませる。ヘルス全盛期に学生時代を過ごし、カネでセックスすることに抵抗がないのがこの世代の特徴だ。
●家庭や親子に不安
彼らはバブル期前後をまたぐように多感な思春期を過ごしている。
「あの宮崎勤の事件が起きたのは1989年で、シックリしない親子関係や実体のない家庭が問題視されました。また、家庭のほころびや親子の 絆に自信が持てなくなるような事件も多発し、この世代が子供心に衝撃を受け『家庭や子育ては難しい』と思うようになった可能性もあります」(聖学院大客員 教授・作田明氏)
とはいえ、勢いで同世代同士で結婚したところで長続きはしない。渋谷のバラバラ殺人の夫婦のようになってはオシマイだ。
●生活できない
収入が低い人が多いのも未婚の一因だ。実際、30代前半の契約社員などは年収300万円前後の人が少なくない。
「彼らが大学を卒業した10〜12年前はバブル崩壊後の就職氷河期。当時、就職にあぶれた学生は、結局、バイトや契約社員で食いつないだ。 その後就職できても、まだ社歴が浅くて経済的に恵まれていない。人生のキャリアデザインが描けていないのですから、結婚は遠い夢です」(松野弘氏=前出)
【2007年1月25日掲載】
頼りない男性って多いと思う。そして、結婚するということがよしという考えではない人も増えた。
でも、いつまでも親に頼りきりというのもどうかと思う。
1月21日16時32分配信 日刊スポーツ
<全国都道府県対抗男子駅伝>◇21日◇広島市・平和記念公園前発着7区間、48キロ
兵庫が2時間19分40秒で8年ぶり2回目の優勝を飾った。箱根駅伝2区の区間賞を獲得した竹沢健介(早大2年)が、3区で愛知を抜いてトップに立ち、そのまま逃げ切った。
長野は最終7区に佐藤悠基(東海大2年)を起用したが2位に終わり、4連覇を逃した。箱根駅伝の山登り5区で3年連続区間賞を獲得した今井正人(順大4年)は福島のアンカーを務め、17人抜きで21位に入った。
1月18日13時1分配信 時事通信
構造改革特区制度で株式会社が初めて設立したLEC東京リーガルマインド大学(本部東京都千代田区)で、ビデオを使った授業で教員がいないため質疑応答
ができないなど、不適切な点があるとして、文部科学省は18日、学校教育法に基づく改善勧告に向け、大学設置・学校法人審議会に諮問する方針を固めた。 |
最終更新:1月18日13時1分
考えている暇もなく金沢へ。
家族も行きたいと言い同行。
兼六園→卯辰山→成巽閣→
尾山神社→ひがし茶屋街→
主計町→寺町など
金沢のメジャーなまちを廻った。
金沢には3年前にも訪れているが、
やはり変わらない。
変わったのは附属学校が郊外に移転したことぐらい。
オプションとしては北陸鉄道に乗り内灘まで行ったこと。
明らかに昔の京王線。
金沢の写真は今後の日記でもUPしていきます。
昔馬替まで行ったときは古い東急の車両を走らせていた。
北鉄、なかなか乙。
加賀料理、鴨の治部煮はおいしかった。
金沢のものは実家から取り寄せているため
馴染みはあるが、中田屋のきんつば、俵屋の飴
(じろあめという米と麦で作った水飴)、麸菓子、
落雁を近江町市場で買う。
午後から金沢市内、いわんや関西全域で
ソンダフォンの通信障害が発生し、
携帯使えず。金沢城址公園内で不機嫌。
しらさぎ7号で名古屋に帰る。
関ケ原を越えたら携帯は復活。
au辺りにFAするぞ。
しらさぎは米原で進行方向が変わるため
座席を回転させる。
帰りは爆睡の為名古屋では逆向きに動いていた。
1月6日
母が福袋を買いたいと言う。
当人は1月2日に買いに行っていたくせに(笑)
(松井夫人。は今井選手にめろめろだったため気付かず)
バッグ2つ、セーター2着、マフラー1本ゲット。
合わせてズボン2本購入。
冬の同行用にパンツスーツを買ってもらう。
1月7日
名古屋では雪。美容院にいく。善哉を食べ、
黄金週間には帰る旨を伝え新幹線へ。
夜の豚しゃぶは量が多かった。
親からの新幹線代ならぬODAを頂き財政に若干の
余裕がでた。少ない賞与を危惧しての開発援助だった。
東京で挫折をしたらすぐ名古屋に帰ろう。そう思った。
1月1日、
相方からの年賀状が届いているよと
おかんの甲高い声で起床。
お屠蘇を呑み、お節料理を食べ
そのまま岐阜へ。
長良天神、大竜寺、手力雄神社、
伊奈波神社へと廻り、
すべてのおみくじが「小吉」だった。
雑学辞典をひもとくと、
大吉→中吉→小吉→吉→末吉→凶→大凶の順番らしい。
まあまあいいほうではないかと納得する。
その日は箱根駅伝の雑誌を買い、就寝。
1月2日。初夢は昨日夜まで読み込んでいた
箱根駅伝の選手で目星を付けていた
山登りの神様・今井選手と結婚する夢だった。
7時半、とてつもないルンルン気分で起床。箱根駅伝を観戦。
神様今井選手は5区でみるみる他の選手を抜かし、
昨年の自己の記録を更新。
テレビから30センチ以内に釘づけ。
300キロ先の愛のエールは確かに届いた。
野球部の選手には10年間で一人も惚れたことがないが
箱根駅伝の選手にはかなり熱くなる。
新年会までこの熱さは続いた。
1月3日。
昨日同様箱根駅伝をみる。父は順天堂大の
アンカーがかっこいいと言うが、
私は今井選手がいいと言い張る。早稲田5位!頑張った!
明治の池邊も健闘!
そんな今井選手にめろめろになっていた松井夫人。
突如金沢に行きたくなった。
そして即宿を取り、名古屋を後にするのだった。
お待たせしました。
あけましておめでとうございます。
松井夫人。パスポートのいらない
外国・名古屋でのんびりしてました。
松井夫人。の年末年始をここで軽く
述べることとします。
12月30日夜、松井夫人。名古屋に帰る。
東京駅から奇跡的に自由席を確保。
車内で31日夜をどう過ごそうか考えあぐねる。
家族で過ごす、それは演歌を聴くこと、
かつ10時半に寝ること⇒至極つまらない年越しに
なるわけ。
厭、厭だ!と頭に浮かんだのは名古屋で苦楽を
ともにしたゴンだった。ゴンにメールした20秒後、
ゴンから了承の旨あり。わたしの頭は次のステップ、
何処に行くかを考えた。それから2分後、同じく
仲間のこんたけが事故ったと連絡。慰めてやるからと同行させる。
それから3時間後、愛知県蒲郡市のラグーナにて
カウントダウンをみていた。
結論としてはすばらしい!の一言。
今までにないカウントダウンだった。
帰りは熱田神宮に寄ろうとしたが
3人ともバッテリーの残量不足の為地元の神社へ。
2007年はこうして幕が開いた。午前3時45分、就寝。
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関東在住12年目。
野球とサッカーと旅と電車(特に私鉄)とグルメが趣味。
野球の贔屓は巨人だが、選手レベルで好きなため、どのチームの試合も好んで見ます。
サッカーは浦和レッズ兼モンテディオ山形のサポーター。年間チケットを手に、年間20回は埼玉スタジアムで飛び跳ねています。好きな選手は槙野智章と原口元気。