特急「松井夫人」11号

松井夫人日記。を新しくしました。 愛知県出身。神奈川に上陸して11年。昨年5月から埼玉県に移った。名古屋弁は聞き取れるものしゃべれない。文学部英米文学部卒業だが、英語はしゃべれない。 毎朝カウントダウン占いで一喜一憂する30歳の劣等生OLの日記。 2004年の誕生日からつけているが、旅日記、日々の戯言、鉄道写真などがある。 松井夫人。の2002年から2004年までの日記はこちら⇒⇒⇒http://matuifujin.exblog.jp

2008年11月

鉄道に命を懸ける

鉄道ファンが撮影中に死亡事故 JR東海道線の踏切

2008年11月29日 18時33分

 29日午前9時10分ごろ、神奈川県茅ケ崎市本宿町のJR東海道線の踏切で、大分・熊本発東京行き寝台特急「富士・はやぶさ」が信号機の異常で停車した。線路内を点検すると、男性が倒れていた。救急隊が駆けつけたが、男性は死亡が確認された。

 茅ケ崎署の調べでは、男性は茅ケ崎市内の公務員(47)。踏切内に三脚を立てて写真撮影していて別の列車と接触したらしい。

 上下線8本が運休し、15本が最大48分遅れ、約1万4000人に影響が出た。
(共同)

<補足>
松井、あなたもこうならないように。
でも、鉄道の撮影(撮り鉄)に命を懸けていたんだな。
寝台特急を撮りに、撮影に挑んだのだが、三脚が線路内に転落し、それを拾おうとして、引かれたらしい。
文部科学省の職員だそうです。

ご冥福をお祈りします。


わたしの好きな歌

26cd83d0.jpg某マイミクの日記を仕事帰りに読んで、松井の心があったかくなった。

長い長いトンネルからやっと抜けそうな気がした。

聖玄冬さんの歌。

読んでいて、心が和んだ。

頬つたい 零れる涙を 希望(ゆめ)にかえ
        きみに贈らむ  愛の宝石

北国の 二羽の白鳥 巣を立ちて
幸福(しあわせ)むかう春の訪れ

初雪や ゆめみる乙女の はれすがた
       嫁ぐ心に 積もる幸せ

こんな純粋な歌を歌えるようになりたい。

松井はそう思った。

トンネルの中では外の世界がどうなっているかわからなかったけど、いったんトンネルを抜けると、一面がクリスマスカラーになっていた。

先輩の扱きに日々耐え、残業出張に耐えた松井を神様は見てくださったのだろう。ボーナスでクリスマスに大阪にいってきなさいとばかりに激安チケットの店を見つけた。

とりあえず、松井は、大阪に行くことを心待ちにしている。

愛知県人と神奈川県人

c07b5060.jpg「結婚後も実家のそばで暮らしたいから、結婚相手は出身地が近い人がいい」。
理想の結婚相手について、こう語る独女も多い。確かに相手も同郷なら習慣や価値観を共有しやすいだろうが、「運命の人」はどこにいるかわからないもの。人やモノの流れが激しい現代では、まったく違う土地で生まれ育った人と出会い、結婚する人も少なくない。
 夫と妻の出身地の組み合わせは夫婦によってさまざまだが、筆者の周りには、「愛知県男×神奈川女」のカップルが4組もいる。偶然と言ってしまえばそれで終わりだが、意外と両県は相性が良かったりして!?

考えてみれば、キラキラしたものが好きな愛知のシャチホコ文化は、車やバイクを改造して埠頭に集まったり、海岸沿いを走る神奈川のヤンキー文化に通じるのだろうか。先にあげた「愛知県男×神奈川女」のカップルはヤンキーではないが、土地が持つ文化や精神性に、何か共通するものや相性があるのではないだろうか。

 そんな話をしてみたら、名古屋での勤務経験がある神奈川県会社員の崇さん(仮名)が、「それはあるかも」と頷いた。

「名古屋人は人からどう見られるかをすごく気にします。ランチは100円でも安く、でもバッグはブランド物の定番を買って長く使う。一方、横浜の人は発想が逆で、あまり人目を気にしない。けれど、地元の人の好みに合わせて華やかな装飾の店が多い名古屋に神奈川県民の友人を連れて行くと、『あの装飾を自宅でやりたい』と言う人が多い。愛知と神奈川は、おしゃれでも何でも『徹底する』というところが似ているのかもしれません」。

 また、地理的にも愛知と神奈川は共通点が多い、と語るのは夫が愛知出身、自分は神奈川出身の自編集者、美紀子さん(仮名・34歳)。

「やっぱり、名古屋は大阪の、神奈川は東京の陰に隠れて永遠の二番手だってところ。その割りに故郷に自身があり、自分たちは都会人だと思ってるところが同じ。以前、夫の友人で名古屋の人と故郷自慢をした時は燃えましたね。みなとみらいVS名古屋港、八景島シーパラダイスVSナガシマスパーランド、赤い靴の女の子 VSナナちゃん人形とか(笑)」。

 神奈川県出身の桜子さん(仮名・35)は結婚後、夫の出身地である愛知県で暮らしていて、あることに気付いたという。

「トヨタのお膝元だけあって車社会なんですよね。夫婦もそれぞれ1台ずつ乗ってるんです。一部の都市部を除けば神奈川も車社会。ただ、神奈川では白い車が多かったのに対し、こちらは黒がほとんど。さらに愛知では、わざわざお金を出してエンブレムを金にする人が多いのにも驚きました。」。

 ちなみに日産自動車初の工場は横浜に作られている。愛知と神奈川には、自動車メーカーのお膝元という共通点もあったのだ。

 一方、愛知と神奈川の違いを語ってくれたのは、夫が愛知、自分が神奈川出身の自営業・瞳さん(仮名・36歳)

「愛知の人はとにかく元気。老若男女が流行に敏感で、オシャレへの向上心もある。それでいて、女性には『男性を立てる』という価値観が今でも強い。一方、神奈川の人は、割とクールで『郷に入れば郷に従え』。けっこうなんでも受け入れられるタイプが多い。また、愛知県の人が東京へのコンプレックスが強い一方、神奈川の人はそれほどないんですよね。ただ、愛知も神奈川も郷土愛が強いのは同じです」。

 なるほど、熱い愛知県民と、クールな神奈川県民は共通点がありながら、反対の価値観を持つからこそ、夫婦としてうまくいきやすいのかもしれない。

ところでもう一つ、愛知と神奈川を結びつけるものがある。それは、名古屋を中心に約300店舗を展開するコメダ珈琲だ。中部地方で絶大な支持を得ているコメダ珈琲の関東進出第一号店は、なんと横浜市内に作られたのだ。なぜ横浜なのか、コメダ珈琲に尋ねてみた。

「当社の店舗は、年中無休で早朝から深夜までの営業、モーニングサービスなどとともにゆったりとした空間と駐車場などもお客様の支持を頂いております。それを実現するには、郊外の路面店が理想ですので、より愛知での出店環境に似ている横浜になったのです」。
 
しかし、郊外なら埼玉や千葉でもよかったはず。あえて横浜を選んだのは…

「やはり、東海道新幹線が通っていることもあり、名古屋からのアクセスのよさが管理のしやすさが最大の決め手です」。

 確かに、新幹線なら名古屋と横浜は片道約1時間半と近い。このアクセスのよさも、愛知と神奈川を近づける要因の一つかもしれない。

 考えてみれば、古くは東海道中膝栗毛からもわかるように横浜と尾張・三河の国は東海道を通って人が行き来し、太平洋沿岸の町では、漁業の文化や技術が黒潮に乗って伝えられたりしてきたのだ。愛知と神奈川のように、共通点と相反する点を持つ土地の人との出会いの中に、宝物が埋まっていることもあるのかもしれない。(栗頭渋子)

松井夫人。:そうか。神奈川県人の男性か。確かに、松井は神奈川県に住んでいるわけだし、同じ沿線でいないかしらね。確かに、ミチさんとか、これに当てはまるのかな。
ふむ、松井夫人。参考にしよう。

あ、今までの彼、神奈川県人率高いな。

石黒由美子さんの話

56cce13c.jpg3連休は、実家名古屋に帰省した。
うまくいかない仕事と恋愛で、急に帰りたくなったのだ。

しょげるわたしに、「おかあさんは、若いこと、お局様に立居振る舞いから仕事の取り組み方までことごとく注意されたんだから」
おとんも、「おとうさんの友達で、副社長やっている会社があるんだわ。その秘書の枠空けておくわぁ。」

おとんもおかんも大好き。

日曜日、地元ローカルラジオ局のCBCラジオを聴いていたら、シンクロ日本代表の石黒由美子さんのトーク番組だった。

石黒由美子さんとは。

22日の北京五輪シンクロナイズド・スイミングのテクニカルルーティン(TR)で4位に入った日本チーム。水中で舞う8人の中に、交通事故の後遺症を抱えながら競技に打ち込んできた選手の姿があった。石黒由美子(24)。緊張で音楽が聞こえづらかったというが、力強い演技は仲間と息が合っていた。

 豊かな表情で演じ切った石黒は「全力でいくという意気込みを前面に出した」とすがすがしい表情で語った。

 事故に遭ったのは名古屋市内の小学2年だった91年10月3日。止まっていた母和美さん(52)の車に、暴走車が突っ込んできた。「由美子は血が流れて気を失った。救急車も受け入れ先をすぐ見つけられず、どうなることかと思った」と和美さん。石黒は手足を骨折し、顔面を540針縫った。

 リハビリを兼ねて翌92年にシンクロを始めた。女優宮沢りえさん主演のシンクロのドラマを繰り返し見た。アキレス腱(けん)を切ってバレリーナの夢を断念し、シンクロに懸命に励む主人公の姿に自分を重ねた。

 顔面まひ、網膜剥離(はくり)、難聴……。みんなのように体が動かないので、離れたところでぽつんと練習していた。

 母にも忘れられない思いがある。娘の小学校に授業参観に訪れた時だ。

 「おーい、フランケン」

 娘をこう呼んだ同級生に詰め寄ろうと思った瞬間、「なーに」と娘は明るく答えた。「本当に強くて明るくて素直な子。事故の恨み言も一切言わない。元気なのが救いだった」と母は振り返る。石黒は壮行会など人前に出る時は、今も笑みを絶やさない。

 競技のシンクロはみるみる成績を伸ばした。小学校高学年の部で全国5位。07年夏、スイスオープンのソロで優勝した。年末になって初めて日本代表に加わった。「誰も私が入るとは思わなかったでしょう」。ここでも会心の笑みを見せた。

 後遺症はほとんどなくなったが、今も左目は完全には閉じない。石黒は言う。「こんな私でも五輪に出ることが出来る。これからも障害者や苦しんでいる人に勇気を与えることをしていきたい」

 雄姿は、この日誕生日を迎えた母ら家族が見守る日本へ、そして世界へ発信された。(内海亮)

おかんと松井は思わず聞き入ってしまった。

石黒さんは、わたしと同じ世代。「高校時代に、勉強の面白さに気づいた」と勉学に打ち込み、愛知教育大学では、幼稚園から高校までの教員免許をとった。

スポーツだけではない。彼女の根底にあるもの、入院中に読んだ「ポリアンナ物語」の明るく生きる少女に励まされ、彼女のように生きようと思ったのだ。


「つらい」は将来のためにある。

人より出来ないと思ったら、人一倍頑張らなければ。

松井、26歳にて劣等生OLとなったが、劣等生なら劣等性なりにやる気を見せればいいんだ。

それをすごく感じた。松井はその夜大泣きした。

そういえば、会社でひとつわたしが起こしたアクションで、いい方向に進むかもしれないものがあった。

わたしは、決して今の場所を去りたくありません。と思った。

のぞみ

e35a282d.jpg名古屋からのぞみで3駅行くと、神戸である。
東京に行くより、ちょい短めでいける。

わたしの最寄り駅から3駅とでは全く遠さが違う。

どうでもいい恐怖と、どうでもいい不安と、確信のない希望とがごちゃ混ぜになっている。
しかし、ある一点に向かってわたしから糸が伸びているのは確かだ。

今は人生のターニングポイントと言われた。

「冬が厳しければ厳しい程、春に咲く桜の花は美しい。」
咲き誇る
桜の花に偲びみる
厳しき 冬を樹は想えり
聖 玄冬

春に一気に咲き散る桜に人々は喜び浮かれるが、花を咲かせた樹は、耐えた冬の厳しさを想い偲びているのだろう。人の道もまたしかり。耐えた先に幸福がくるのだろう。

わたしのマイミクの日記から。

TSを思う気持ちも、桜が咲く頃まで待とう。2年生になって、ひとまわり成長するまで、TSを遠くで見ていよう。

わたしは、「通過待ち」という手段を講じた。



そう思うと、悲しくなってきた。

隣にいたのに、なぜか遠く感じた。ふと横を見た瞬間、どこかに行っちゃっているのではないかとさえ感じた。

見た目は、「ほんま年金テロやわ。ボスやられたわぁ。」とおどけていたんだけど、思った以上に辛そうで、何度「大丈夫?」と言ったか。

元気だしなぐらいしか言えなかった。

そして、何も出来ずにいるわたしが本当に本当に・・・
元気付けるのに、何をしたらいいですか。
話を聞いてあげるのですか、そばにいてあげるのですか。
松井に、何が出来ますか。

寒い中、よしよしする気力もないくらい酔っていて、その瞬間眩暈がした。
彼の辛さを共感してしまったのか。飛行機が離陸した瞬間の状況になり、5分ほど、サーッと言う音しか聞こえなかった。

何かが極限状態になると、眩暈が起きるのか。

非常に辛い。

帰りのタクシー、「千葉県M市までお願いします」と言いかけ、最寄り駅の名前を言った。それなのに、息を吐くたびに「ま・・・」と蚊の鳴くような声を出す。
財布の奥にしまってある、めったに使わないタクシーチケットを取り出しそうだった。



METI

3a5995d2.jpg松井の職場では、経済産業省をこう呼ぶ。
読み方は、「メティ」である。因みに国土交通省はMLIT「エムリット」と呼ぶ。

今朝から、経済産業省内でミーティング。松井は必死にメモを取って、1日議事録にまとめていた。

今朝は寒かった。といっても、ユニクロの例のウォームシャツと、ストールをぐるぐる巻きにしたら、霞ヶ関のビル風もなんのその。

定期的に運動をしていると、体もすぐほかほかになる。いや、ユニクロの

昼ごはんは、農林水産省内で。職員食堂はここが一番おいしい。

さて、ジムのウォーキングマシンで走りながら、NEWS23を見る。厚生事務次官が相次いで襲撃された。走りながら、「年金局のTS、階段から突き飛ばされるなよ」とちょと心配になる。
メールを送るほどでもないし、いや、送ったら、心証害するし、でも、ニュースを見るたびに、「TS、このおっさん知ってるのかな」と思ったりする(←2年目だし、地方支局だし、知らないかw)
そして、ウォーキングマシンのスピードが速くなる。

今日明日は、鼠先輩も外出。
明日の鼠先輩の議事録のダメ出しの嵐に備え、早く寝よう。


解釈

96151a93.jpg鶴岡八幡宮で縁結び祈願をする。

仕事で活躍しますようにと恋愛成就と。

そして、「をだまき守」を購入。800円。2種類そろえた。これで磐石の備えだ。

おみくじも引いた。

淡雪の降れどたまらぬ梅が枝に花は香りて春風ぞ吹く。末吉。

「今は先輩に扱かれているんだけど、そのうち、仕事の要領を得て、一人前になる」的な。

松井夫人的解釈。

前に進もう。そうしたら、きっと何かいいことが起こる。

どん底を味わったから、今度はすごく飛躍できるチャンスが来る。

今週も頑張ろう。

休憩

c2664b4b.jpg嵐のような平日と比べると、土日は穏やかだ。

ENYAのCDが発売されるので、とあるパーティーが始まる前に同じ建物にあるHMVで購入。予算以内だった。

家に帰って、音楽を聴きながら、PCで阪急電車の地図と携帯片手でジョルダン(駅すぱあとという乗り換え案内)で、神戸にいったわたしを想像して、どのルートが一番早く着けるか頭の中で考えていた。

仕事で忙殺されて、精神的に参っているわたしは、こんなしょうもないことで悦に浸っているのだ。
頭から、一本一本ベクトルが高速で神戸のほうに向かい、くるんくるん旋回しているのだ。


某TSの出身は神戸である。大阪出張に行った際に、懇親会が終わった夜10時から神戸に向かった。東京から横浜に行く感覚で行けると気づいた。乗った電車が特急だったのもあるんだけど。

松井は海辺を歩いた。

最高のテンションだった。本当に自分でも馬鹿なことをやっているなと思うんだけど、恋という物は、麻薬と同じで頭をめちゃくちゃな方向に走らせるものだと思った。
しかも、二十歳やそこらの恋と違う。そして、今のしんどい状況下、ますますそれがひどくなるのだ。

TSは18年間ここにいたんだ。
そして、わたしがセンター試験受験の末に横浜にするか神戸にするか迷った場所だ。

やばい。1分1分が生きているという感触だった。

もし、ここにTSとふたりでいたら、きっとわたしは、確実に空を飛んだ気分になる。

もし、わたしが大阪の支部で働くことになったら、ここは毎日のように遊んでいるんだろうな。
学生時代、6年前に行った場所でもあったが、今回は、わたしがひとりで、そして、ひたすら歩いた。

諦めるな松井。

パーティー中も、野球ファン+鉄道ファンの仲間が出来た。
久々に話で盛り上がった。最近のパーティーでは、ひとり「コイツだ!」と思った仲間と濃く語ることが多くなった。
こうやって、話すと気分が前向きになる。

辛い辛い嵐の中でも、気丈に耐えていく。明けない夜はない。



大人のなり方

5c8ee79f.jpg先輩に扱かれてボロ雑巾になっているわたしがふと携帯を見たら、会社のとある委員のメンバーからお食事をばと誘われた。
公私共にお付き合いのある方で、きっかけは、物流関係のオフ会である。そして、共通の趣味、野球ファンと鉄道ファンである。

ここ数日の松井は、正直前の会社に戻りたいとさえ思うようになった。またボスの下で働きたい、おそらく、今戻れば、行政書士のあの方のアシスタントの席が用意されている。

非常に甘い考えだった。そして、やはり前に進もうと思った。



親ぐらい年の離れた方と歓談した。
「とにかくやる気があれば大丈夫」と背中を押された。

やる気はあった。ただ、もっとやる気を出さなければならない。合コンとかオフ会とか言っている場合ではない。

そして、気配り、目配り、心配り。余裕を持つことである。

やる気はある、ただ、何をどうしたらいいのかわからず、もがいていた。結果はでなかった。次の半年をどう動くか。

やる気を行動に移し、それを実行に移す。
松井のある程度のviewが形作られて来た。

そして、こういった委員からの飲み会には積極的に参加する。上司の本音、委員の本音や素の姿を垣間見ることができる。日ごろ恐れ多くて話しにくいお偉い委員の方が、もしかして、大の鉄道ファンだったりすることがある。
その瞬間、上司部下の壁を越えた鉄道の話で盛り上がるのだ。

上司や先輩などの考え方や行動特性を知る絶好の場にもなる。特に、お酒が入ると普段とは違った性格がわかったり、本音を聞けたりすることもある。

若いころの成功体験を自慢する人、教訓をたれる人、やたらに説教をする人も少なくないが、それを聞くことも、大人になるための「修業」の一環かもしれない。

鼠先輩の声が聞こえてきた。
「お礼のメールはしっかりと。あとで、いい見返りは必ず来る!!」

『まさか!』という坂

eb8ecb75.jpg人生には上り坂もあれば下り坂もあります。
もう一つ坂があるんです。『まさか!』という坂であります。

言うまでもなく小泉純一郎元首相の言葉。


しかし、この「まさか!」がもしかしたらとてつもない上り坂になるかもしれないな。

友人のブログ。

役員と上司と面談をして、背中を押された。

足元を見たら、思った以上に仲間がいた。

面接で一番答えられなかったもの。
「今まで一番苦労してきたこと」
受験勉強とか本気で言ってしまった。


かろうじて、野球部の時の話をしたが、「辛そうな顔をしていないね。楽しそうじゃない」と返された。尤もである。野球部のマネージャーの時も、先輩からいろいろ仕打ちを受けてきたけど、なぜか自然に楽しかった。今の辛さのほうが半端ない。

正直、2008年は辛い年だった。

恋愛はことごとく失敗するし、仕事でも、ほんとうに自分大丈夫なのかってぐらい出来ないし、それでも、乗り越えなきゃ見えてもないものを、まだこの年では見たことがない。

辛い経験って、挫折って、今までほとんどしてこなかった。
小さいコケはあったかもしれないけど、コケをコケと思わないポジティブさがあった。それが通用しないぐらいの壁が立ちはだかっている。

26歳にして、初めて自分が「出来ない奴」となった。

乗り越えたら、すごい世界が待っているんだろうな。長期的に見えてくると、なにか見えてくる。

半年後には、現在の業務において、上司に提案できるレベルになりますと宣言した。

気がついたら、ほとんどのスカートがゆるくなっていた。





コミュニケーション

bdbf094e.jpg週末は、コミュニケーションセミナーというものに参加した。

「まりボール」というボールに書かれた32の言葉の連想で言葉を引き出していくコミュニケーションゲーム。たまにインプロの要素も取り入れており、20台から50台までの方が一同に「お遊戯」を楽しんでいた。

子どもに戻れる。これがわたしにとってのリラックスと感じた。

仕事で大人にならなきゃ、一人前の「社会人」にならなきゃってこせこせしているから、それに解放される「子どもになれるとき」は松井夫人の細胞が最も活性化するんだな。

そして、偶然にも2ヶ月の坊やを連れてきたママと同席した。

抱っこさせてくれた。

松井夫人。至福の時だった。

子どもを抱いている松井夫人。久々に感じた。教育実習の時の小学生と戯れた自分と似ていた。無機質のオフィスで型にはまった仕事をして、窮屈で仕方がない自分。

松井夫人。が本当に「夫人。」になったら、本当にパワフルに頑張れるんだろうな。と感じた。

徹夜明けでも、月次で悶々としていても、上司に叱られても、ストッキングが伝線しても、電車が遅れても、わたしの悪口を言われても、喧嘩しても、何もかもうまくいかなくてぐったり疲れていても、隣に赤ちゃんや子どもが声をかけてくれただけで、汚いものも黒いものもすべて洗われ、キラキラした笑みになれる松井夫人。がいる。

コミュニケーションをして、自分を因数分解した結果、出てきた言葉の一つは家族。

仕事もバリバリ頑張るけど、自然の多いところで、ママとしての松井夫人になりたいんだな。そう感じた。

次におかん。

そして、ふと話したおかんの話。

おかんの話を1分した。おかんの話をここまで出来る自分。おかんが大好きなんだなと感じた。


久々に心を洗濯した一日だった。






1枚のお礼状で利益を3倍にする方法

93b6e974.jpgこのタイトルがすごく身にしみた。

秘書時代から、「お礼状」は欠かさず書いていたものだが、ほとんどが「先輩秘書からの流用」だった。一回、自分でお礼状を書いたことがあるが、ボスにZ会東大コースの小論文の如く直され、しまいには先輩秘書の作ったお礼状のほうがよかったじゃないかと思ったりもした。

3年間でパイルのようにたまったお礼状を、前職には内緒で現職でも使っている。が、日々ブラッシュアップとはいい響きで、鬼のようにしごかれているのだ。とりわけ、職場きってのG党のG先輩にチェックしてもらうときは。

10月28日、29日にロジスティクス全国大会という日本の名だたる企業のロジスティクス専門の方を呼んだ講演会を行った。

その面々の、「お礼状」および「謝礼の銀行振り込み通知」20名分を松井がひとりで書かなければならない。

過去の先輩のデータはしっかりある。それを流用したら、G先輩に殺された。そういう痛い経験があったため、とりあえず、過去の秘書時代のデータベースを駆使して作成したが、「はぁ?」とG先輩から突っ返され、「ここの部分、自分で考えろ」と言われ、ボロ雑巾の如く、残業をする。

あー、このお礼状の半分は秘書が見て、捨てるんだぜ。過去のセンパイが作ったデータでいいじゃねぇかーと脳みそまで真っ黒になっていた松井夫人。は、頭を絞って文面を思いつくのだが、「どーせ、これビジネス本のパクリでしょ」とまた蹴られる。そして、「巨人戦が始まるから」と早々に帰る。

泣けてくる。

そういうときに考えるのは神戸と千葉県M市と名古屋と長良川である。そんなことでテンションがウィーンと上がるんだから、謝礼の文面作成で深夜残業までしてしまったのだ。もう勘弁して・・・

深夜残業=鼠先輩がセットでつく。というよりも、先輩として、後輩より先に帰るまいという鼠先輩なりの配慮だろう。

「お礼状って軽く見がちなんだけど、『松井』の文章なんだぞ。これ一枚で松井のいる協会のイメージよりも、松井のイメージが変わる。隣の部署は、完全に前任者のコピーを使っているが、時間を書けたお礼状については、必ず誰かが見てくれている」
ミッキーマウスの模様のネクタイをした文字通り鼠先輩の一言がずんときた。

そして、今日、巨人が勝ったおかげか、何とかG先輩のOKをもらった。

が、その後、意外な返事が来た。

「松井、こないだの『ロジスティクス基礎講座』何枚名刺もらった?松井は、受講生で来ているんじゃないぞ。運営はちゃんとやったみたいだが、講師との昼食に同行は何回した?」

R社の方、S社の方・・・4、5枚は頂いた。そして、それなりのお礼状は書いた。講師全員とは名刺交換していない。

「会社の『会議費』で落とせるんだから、そっちのほうが割りいいぞ」と鼠先輩のフォローがあった。ショックのほうが大きかった。

あの場には先輩はいなかった。先輩がいなかったから、気が緩んでいたかもしれない。同期が逐一G先輩に報告をしていたのか?そんなひどい同期か・・・

大人は冷たい!!

「先輩、それ言ってください」ではなかった。完全な死角だった。

あなた社会人でしょ。それぐらいのことは自然にしないと。あなた、あの時何をしていた?同い年ぐらいの若きロジスティシャンと歓談していたよね。それじゃだめだよ。知識は習得したかもしれないけどソフト面が全くできていない。あなた、まだ学生なの?バイトでここに来ているの?

松井、あなたは、3年間の社会人で、何をしてきたの?


悔しかった。何をどうしたらいいのかわからない自分がいた。

ぬるま湯の環境で、先輩の背中を見て、つまり、先輩のマネをして、自分の頭で考えることをあまりしてこなかった。優等生の技を盗んで、それを自分のものにしていた。完全自分オリジナルのものってほとんどない。他人からの借用物をオレ流に変化することは長けているが、ゼロから自分で考えるって、苦手だ。それを習慣付ける。

印象。会議や大会や委員会で挨拶するときの印象。カミカミで西の訛りだらけの電話応対。これによって、外部のお偉い様方は、松井の印象を作っている。

ただ、メンバーの方で、鉄道ファンというつながりでお世話になっている方がいる。少しずつつながりができている。
カミカミだし、関西の方になると完全に同化するし、それでなくても明らかに関東のアクセントではない、それでもいい。気持ちが伝わればそれでいい。

自分から動いていかなければならない。

20:30、新橋に向かった。

「替え玉するんや」
久しぶりに替え玉をした。そして、TSのスペースまでを酒の杯が侵食した。
ラーメンと餃子と酒。餃子には、真っ赤な豆板醤をたっぷりつける。
「ほんまよぉけ飲むなぁ。しかも豪快に」

そうでもしないと、やっていけない。







081105雑記

1225a4fd.jpg外回り先で常磐線を見た。

今日は2時間ちょっとしか寝ていないため、コーヒーとエスタロンモカで何とか凌いだ。

気がついたら結構遅くまで残るようになった。

速さより確実さに重きを置いたからだろうか。

アフター5もたまにはする分、体力持つ限りはいけるところまで行きたいかなと。
まだ何も出来ない自分がいる。だから目一杯サッカーのロスタイムをフルに使い、頑張れるだけ吸収しようかな。そして貰えるものは貰っておこう(笑)

意外にこの時間の電車はすいていた。

昼に食べたカキフライが思いの外胃にズンときた。

今日は早く寝よう。

で、明日は鼠先輩に謝ろう。


あと…前職の行政書士の先輩から電話があった…

仲間はちゃんといる。

あったかい会社

87d8011b.jpg昨日、知人が教えてくださった番組「カンブリア宮殿」を見た。

日本理化学工業株式会社というチョークを作っている会社がある。そこは、障がい者が全社員の7割だそうだ。とりわけ、知的障がいを持った方の雇用に積極的で、50年巻頑張っている社員が取り上げられた。

わたしの小学校にも特殊学級があり、小さい頃から、知的レベルはみんなよりも遅れているけど、すばらしい才能を持っている子供達を見てきた。

そして、前の会社にも経理課に知的障がいを持ちながら、アビリンピックで優勝した職員を知っている。

障がいとは一概には言えないけど、簡単なことをマスターさえすれば、一人前の戦力になれる。彼らのよさを引き出す。それが日本理化学工業の大山会長の考えだ。

松井夫人。は泣けてきた。

オリンピック以上にパラリンピックは本当に泣ける。少なからず、事故や病気で障害と向き合わなければならない選手もいる。
彼らは一日一日を精一杯生きている。

そんな中、ある友達と出歩いていて、障害を持った方が隣に座った瞬間、友達が嫌悪感をあらわにした。

松井、哀しくなっちゃったよ。

そんな大人はまだまだいる。

公正、公平、平等。そんな社会はなかなか難しいんだろうか。

一人の人間としてみてほしい。

そう願います。

拝啓十五の君へ

f555c28e.JPG1997年11月3日の松井夫人。へ。

文化祭での実行委員お疲れ様。生徒会役員として、あと、●●委員の委員長として、ひたすら頑張っていますね。

中学校の50周年記念式典の先陣を切って、頑張っていますね。

わたしは、今東京にいます。今の仕事は、一言で言うと、国をちょっと動かしたりしている仕事です。詳しくは「公民」の教科書を見てください。働いている場所は、おそらく、修学旅行でさっとバスで通り過ぎたところになります。気づかなかったかな。そうだね。バスの中では、IさんとPUFFYの歌を歌いながら、マイクずっと握りっぱなしだったもんね。

そんな中で、わたしは日々月曜日から金曜日までひたすら頑張っています。お父さんよりも確実に遅くまで頑張っています。

15歳の君も、何かに向かってひたすら頑張っているようだね。頑張りはこちらにも伝わってきます。みんなの前で何か発表するとき、自分を誰かに見てもらいたいという思いで話しているよね。
だから、生徒会役員にも立候補したんだよね。
26歳のわたしも、誰かに見てもらいたくて、認められたくて、頑張っています。だけど、まだまだ青二才で、こけてばかりいます。

でも、共通なのは、好きな人のために、頑張っているんだよね。

一番知りたいのは、来年、どの高校に入るかだよね。ぶっちゃけ、教えてあげる。偏差値が15上がります。巨人の「メークドラマ」です。
勿論、3月には第一志望の高校に入れます。来年の夏には、マネージャーでお手伝いをしている高校が甲子園に行きます。高校2年生の時には、なにかの代表になります。

君は、19の春に東京に行きます。内閣府の青年国際交流活動なんてものに参加します。2年生の夏にはオックスフォード大学の語学研修に行きます。

なんか、15のわたしにとってはびっくりすることばかりだけど、26歳のわたしは、まわりにもっとすごい人がいて、焦ってるんです。そして、自分をよく見せようととっても無理をしているんです。

気がついたら、26歳。まだ結婚していません。中学のクラスメイトはちょこちょこ結婚しています。わたしは、まだまだです。自分のことに精一杯で、周りを見ていなかったからでしょうか。中学のクラスメイトは意外に大人です。成績だけで人を判断するのはやめたほうがいいですよ。

15の君へ。
ひたすらがんばる事は大切だけど、たまには休むことも大切です。そして、自分を振り返りましょう。

そして、26のわたしに、なにか人生のアドバイスをいただけたら嬉しいです。きっと、15のわたしに、今の好きな人のことを話したら、
「え〜!?こんなすごい人なら、結婚したら??結婚して、早く子ども作っちゃいなよ。」なんて言われそうです。

去年の体育大会では、憧れの生徒会長のY先輩に勇気を振り絞って「ハチマキをください」と言って、ネイビーブルーのハチマキをもらったね。
それから、わたしは、「ネイビーブルー」が大好きな色になっています。この色は落ち着く色なんです。赤以上にエネルギーをくれる色なんです。ことあるごとにこの色のモノを身につけているんです。
でも、いま、Y先輩のハチマキのようにはいかない自分がいるんです。
あの人には、ハチマキをくださいと、どうしても、どうしても言えないのです。

わたしの好きな人は、千葉県M市というところにいます。東京から20分くらいのところでしょうか。そこそこ大きい街のようです。あとで地図を見ておいてください。そして、ぐるっと赤ペンでマーキングをしておいてください。お願いします。

わたしは、千葉県M市の方向を向きながら、何もできないでいます。そんな自分の背中を押してください。

そんなどうでもいいアドバイスでいいから、ちょっとほしいかなと思っています。

2008年11月3日の松井夫人。より。

追伸:勉強で、わからないことがあったら、文系科目だけは、何とか教えられます。理系科目も一応・・・送ってください(あとで、TSにアウトソーシングします)。

嵐の中の晴れ間

fc6cb601.jpg朝は、大体8時半頃、大岡山という駅で乗り換える。

そして、その駅を過ぎると、東急目黒線内は地下区間が増える。そして、目黒駅からゴォーッと降りていって、地下鉄の区間になる。

その瞬間、今日も台風のようなしごきがくるなと感じる。

東京に来て8年、些細な事もできないヘボOL松井夫人。は、「台風の中、しまい忘れた植木鉢のように」先輩にボロクソ言われながら、反骨精神だけで折れずに立ち向かっている。
自分で考えろって限界がある。落ち着けと言われても精神安定剤ないと無理です。
派遣職員に弱音を吐いても、過去にエリートOLをやってきた身分、厳しいお言葉を頂く。

考えてみれば、25の輩だ。30台の先輩に教わる立場だ。

某高校の同級生の日記にもあった。

大体同じことの繰り返し。
いつもルーティンワークの中で生きている。

昨日のわたしをコピーしたような今日のわたし。
そして明日のわたしは、今日のわたしをコピーしていく。
毎日それの繰り返し。

8年前に思い描いていた夢は、だんだんぼやけて見えなくなっていく。
そして、しごかれて、わたしはくしゃくしゃになり、汚れて
気がついたら真っ黒。

希望の言葉がうっすらとしか見えなくなっていた。

東京で働きたいと思った高校生のわたしから、今のわたしはどう映るんだろう。

そんな状態で、渋谷に向かった。
定刻5分前、パーティー会場ではどこかで見た中年の方と・・・

あっ。

TS。

わたしは、受付で並んでいて、彼と目が合った。

千葉県M市のTS。

一気にわたしはカンフル剤を飲んだような後になった。
目の前の白黒の景色が純天然色になった。

神様はちゃんと見てくれていたんだ。

2時間強、話した。

彼のまっすぐな視線からはなにかひとつのものに向かってまい進している感じがする。

彼の淡々とした語り口はやはりいい。

好きだ。

あの時、ほんとに溝の口に連れ出して、朝まで飲めばよかった。

そんな後悔が頭をよぎった。

そして、鉄道ファンであることを話したらおもろいねんとけらけら笑われた。

そんな心配することでもなかったか。

松井夫人。嬉しかった。

この人のためなら、日々のしごきにも耐えられる。

今は、がんがんの地下区間だけど、地上区間に上がれますように。

November Steps.









livedoor プロフィール

we-are-reds0729

関東在住12年目。
野球とサッカーと旅と電車(特に私鉄)とグルメが趣味。
野球の贔屓は巨人だが、選手レベルで好きなため、どのチームの試合も好んで見ます。
サッカーは浦和レッズ兼モンテディオ山形のサポーター。年間チケットを手に、年間20回は埼玉スタジアムで飛び跳ねています。好きな選手は槙野智章と原口元気。

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