特急「松井夫人」11号

松井夫人日記。を新しくしました。 愛知県出身。神奈川に上陸して11年。昨年5月から埼玉県に移った。名古屋弁は聞き取れるものしゃべれない。文学部英米文学部卒業だが、英語はしゃべれない。 毎朝カウントダウン占いで一喜一憂する30歳の劣等生OLの日記。 2004年の誕生日からつけているが、旅日記、日々の戯言、鉄道写真などがある。 松井夫人。の2002年から2004年までの日記はこちら⇒⇒⇒http://matuifujin.exblog.jp

2010年04月

病床六尺

北陸本線鈍行

立て続けの学校行事の引率と残業に加え、気温の変動で松井は風邪をひいてしまった。

というよりも上司にうつされた(上司は「松井にうつされた」と言っているが)。

鼻水が止まらなくなり、のどが痛くなり、せきが止まらなくなるいつもの風邪のパターンだ。食欲は旺盛である。

朝一番に徒歩5分の耳鼻科に行き、処置を受ける。
この病院はそんなに混まないし、子ども連れは徒歩30秒の耳鼻科に行くため、診察はスムーズに済んだ。

だが、のどの痛みの部分にしびれる薬を付けてもらったとき、松井、超悶絶。

それぐらいひどくなっていた。

ブログやツイッターを見ていると、いろんなところに遠征に行く友達。

松井、ふてくされるようにして本屋に向かった。

目に留まったのは「北陸の食」と題するムック本。

どこかの3連休で北陸に一人旅をしたいなと思っていたので、購入。

ムック本と時刻表。これで松井は旅行になった気分になる。

北陸では当然のごとく国を盗る。行くとしたらボーナスが出た後の7月の3連休か。「青春18きっぷ」と併用していく。

一泊目は富山。友達と落ち合い、電車の話をする。4月18日にできたリニューアルバージョンを見る。そして、ライトレールに乗車。
二泊目は金沢。前回の一人旅で行きそびれた「金沢21世紀美術館」に行く。治部煮のおいしい店に行く。
そしてふらふらっと能登半島に行く。

んー、さて、どうやっていこうか。

名古屋を起点にすると高山本線と北陸本線を使える。東京を起点にすると行きも帰りもほくほく線経由。
そして、北陸に行ったからにはひとつやりたいことがある。

北陸本線の「鈍行」(写真参照のもの)に乗りたいのだ。

乗った方曰く、寝台列車の改造版だから乗り心地はとってもいい、と。

うむ、オール鉄もいいけど、高速バスという考えもある。

時刻表とにらめっこしながらどのルートで言ったらコストパフォーマンスが安く取れるか・・・鉄子モード炸裂である。

食べ物についてはこのムック本+ネットで入念に調べるとして、鉄についてはちょっとお助け賜りたい。

そんななか、粉薬を飲んでいたら、ブホッと時刻表の上を粉雪が舞った。

明日もゆっくりしよう。

英会話学校、また倒れる

チューリップ





松井が小学生の時、英会話学校に行きたいと言った。

となりのうちで英会話教室を開き、わたしも行ってみたいと言ったら、英会話教室側から断られたのだ。

理由はよくわからないが、だったら、もっといい英会話教室に通ってやるとガチになり、英会話学校に行きたいと言ったのだ。

そのなかでブリタニカとジオスを候補にあげたが、最初の講座の受講料がびっくりするほど高かった。

そこで、個人経営の小さな英会話教室に行くことになった。


候補に選んだジオスが民事再生法。

ただ、英会話学校などスクール業界は怪しいところが多いな・・・。と感じる。

そして、本当に英語を上達させたいのなら、英会話学校は勧めない。実際に外国人を対象とした国際ボランティアをお勧めする。
英語を話さなければならない空間が必要だと思う。

松井は英語の習得も関西弁の習得も同じだと感じる。
同じ言語を持つ集団の中に入ると、おのずから言語は習得できるかなって。
実際に英語と関西弁はEnglishとJapaneseで範疇は違うんだけど、英語の場合も、実際に外国人が多くいる場所に入っていくと自然に覚えられるなぁ、って。

英会話学校に数カ月通ったことあるんだけど、英語という生きた言語を殺しているような気がしてならなかった。


さて、目下松井は、英語よりも山形弁を流暢に話せるようになりたい。

グロい大人

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この長い長い記事を昨日の深夜読んで、この大人とっても腹黒いなと感じた。ここまで腹黒いことまでして上にのし上がりたいのか。

こういった会社って結構あるんだろうな。
ゴマをすってのし上がるのって・・・ちょっとあり得ない。


正直、大人すぎる社会人って正直接する側も疲れる。

平和な世界に行きたいし、普通に頑張れば認められる場がやはりベストだ。そして、「会社で残る人材」といった類のタイトルの雑誌を読むと、こんな世界には絶対いたくない。と感じる。そして、必ずと言っていいほど、そこにはあまり女性が出てこない。

平成の世の中も戦国時代の世と同じか。いや、松井の周りはそういったものはあまりない。

ただ、もし、戦国時代のような状態が現代のビジネスの中にはびこっているなら、前田利家の妻のまつのようになりたいな。

わたしは、給料をたくさんもらってもリスクだらけの不安定なぐらぐらした立場は困る。決して報酬はよくなくても、「楽しい」と感じる仕事がいい。



井上幸夫(37歳・仮名)、丹羽和夫(53歳・仮名)

社員数200人ほどのカタログ製造販売会社に勤務する。本社は横浜。2人はコーポレイト・コミュニケーション室に所属。前職は大企業のソフト開発 部門などに勤務していたが、リストラにより退職。丹羽と井上は、かつて同じ部署に在籍していたこともあり、先輩・後輩の間柄である。

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(※プライバシー保護の観点から、この記事は取材した情報を一部デフォルメしています)

年上の部下と幼稚な仕切り屋が衝突!
中小企業の職場で繰り返される「押し問答」

室長の荻谷 一(43歳)と、年上の部下である丹羽の押し問答が始まった。

 「えっ? そんなことは聞いていない!」

 「いや、先日、私が伝えたじゃないですか!」

 「聞いていない! 聞いていない!」

コーポレイト・コミュニケーション室の部員8人は、決して2人の方を見ない。そのうちの1人、井上が一瞬視線を送った。だが、すぐに机の上のパソ コンに向かう。井上は荻谷の後輩である。

 

荻谷と丹羽の小競り合いは、10分ほど続いた。こういった口論は、この部署の「年中行事」と言われるほど、見慣れた光景である。荻谷と丹羽は、性格 がよく似ている。2人ともいつも自分が仕切らないと気がすまない。

丹羽は、2年半前に転職してきた。以前は社員数が2万人近い本格的な大企業に勤務していたが、リストラで退職。その理由を人に聞かれると、本人は 「希望退職に応じた」と説明している。だが、実際は「自主退職に追い詰められた」と噂される。上司との軋轢があったようだ。

この会社に移ってからも、数ヵ月経った頃から、「年下の上司」である荻谷の管理能力に批判を浴びせてきた。

 「そのやり方では、皆の仕事がとどこおる。室長のところで仕事がいつもストップしてしまう」

こうした指摘は的を射ていた。大企業に長く勤務し、管理職の経験も多少はあるだけに、システム思考は持ち合わせているのだ。

 「室長がすべてを掌握しようとするから、皆の仕事が前に進まない。もっと役割分担を明確にして、権限を委譲して」

しかし、ここは社員数200人ほどで創業40年近い、コテコテの中小企業。これだけの社員がいるのに、年間売り上げは毎年40億円を切っている。 これでは、まともな社員教育などできない。自ずと丹羽の正論を受け入れる下地などない。

ましてや、この部署の責任者である荻谷は「仕切り屋」とささやかれるほど、どんなことにも介入する。

彼を語るうえで象徴的なエピソードがある。一昨年の12月下旬、取引き先の20代後半の女性がクリスマスメールを5人の男性部員に送ってきた。こ の女性は大変な美人ということもあり、彼らは喜んだ。

しかし、その中に荻谷は入っていなかった。妻子もあるはずだが、自分が阻害されたことを根に持った。そして喜んでいた部員のうち、いちばん性格が おとなしい20代半ばの男性社員をいじめ抜いた。結局、男性はこの3月に退職した。

荻谷は、「あんな奴はどこでもうまくいかない」と勝ち誇ったようだった。管理職としての意識に乏しい、「幼稚な仕切り屋上司」なのだ。

 

丹羽は転職して半年が経ったとき、荻谷から頼まれたことがある。

 「即戦力の人材が欲しい。DVDなどのソフト制作を始めたい」

ソリが合わないとはいえ、上司から頭を下げられたのでは断れない。そこで、前の会社で数年間、一緒に仕事をした後輩の井上を引き抜いた。

井上はそのころ30代半ばで、関連会社に出向中だった。20代の頃から「ユニークなソフトは作るが、コスト意識が低い」と言われてきた。出向先で も、それは直らなかった。やはり、30代後半になっても管理職になれない。そこで密かに考えた。

 「いずれは転籍になる可能性が高い。年収は、2〜3割は下がる。どこかのタイミングで辞めよう」

そのとき、かつての先輩である丹羽から声がかかった。話を聞くと、古い中小企業であり、どうも気がひけるものがあった。

だが、今の会社で飼い殺しになるよりも、新しい職場で「DVDをもう一度作りたい」と考えた。

荻谷が室長を務めるコーポレイト・コミュニケーション室は、3年前に設けられた。広報や総務、営業部を後押しする営業部推進部から数人づつが集め られ、社長の肝いりでスタートした。だが、中小企業の新規部署らしく、何をする部署なのか決まっていなかった。

荻谷は、栄えある初代室長(課長級)に抜擢された。倍率は「1倍」だった。前に居た部署は営業部である。そこでは、課長補佐として6人のチームを 率いていた。成績はよくなかったが、上司のウケは抜群だった。

この会社の人事制度は、極めてあいまいである。すでに就任12年目を向かえた社長、通称「ビーバー」の一存で人事が一夜にして決まる。荻谷はこの ビーバーからかわいがられた。

 

荻谷は、部員らにはしつこく報告・連絡・相談を求める。少しでも自分が知らないところで物事が進むと、「聞いていない!」と騒ぐ。それは、管理職と して責任感が強いからではない。自分が輪の中心になり、喝采を浴びていないと心が落ち着かないのだ。

丹羽と井上は、会社の近くにあるとんこつ屋「泉幸」でランチをよく食べた。そのとき、2人は荻谷のことを「病的な仕切り屋」と酷評していた。さす がに前職では、こういう幼稚な管理職はいなかった。

荻谷は、高級住宅地として知られる東京世田谷の経堂に豪華な一軒家を持つほど、裕福な家庭環境に生まれ育った。10代のころは、親の力で「エリー ト街道」を突っ走った。もちろん、慶應義塾大学の「附属上がり」である。

大学時代の成績は案の定悪く、留年も経験。ほとんどの大企業の採用試験に落ちた。そして、この名もなき中小企業に入ってきた。入社のときも親の力 を借りた。

超過保護に育てられたから、自らが否定されることに免疫ができていない。お酒に酔うと、「この会社のトップに立って、乗っ取ってやる!」と妄言を 吐く。これでも、すでに40歳を越えている。

かつての先輩を裏切る要領のいい後輩
底の浅い上司の心を掴んだ「ほめ殺し」

井上は、初期の頃は丹羽と行動をともにした。だが、数ヵ月経った頃から仕切り屋上司に次第に媚びるようになった。

職場では、井上のこういった声が聞こえるようになった。

 「室長のおっしゃる通りですよ」

 「室長のお考えで進めた方がいいでしょうね」

それが本意であるのかどうかは、わからない。荻谷は営業上がりであり、ソフト開発の経験などない。それでも、井上は上司の判断が正しいと言い続け た。

荻谷は満足の面持ちで、会議の場では井上をわざわざ当てて、自分の仕切る部署への意見を言わせた。井上は臆することなく、こう答える。

 

「この部署は、前職に比べると仕事の進め方にメリハリがありますよ」

 「室長の指示がわかりやすいですから。少なくとも、僕にとっては」

 「浅はかなナルシスト」の荻谷は、恍惚の気分のようだ。自分が仕切る部署の業務が滞っていることなど、もはや意識の中にない。もともと責任感のひ とかけらもない男だが、この頃から一段とおかしくなっていった。

 「やっぱり、俺がソフト開発をしないといけないな」

さらには、しらふのときも「この会社を乗っ取ってやる!」とまで口にし始めた。
井上の「ほめ殺し」は、この底の浅い上司の心を完全に射止めた。

だが、その姿は先輩である丹羽を刺激した。

ある日、丹羽がランチに誘おうとすると、井上は断った。その後、挨拶すらあまりしないようになった。一方で、仕切り屋上司には徹底して媚びた。

今年の2月下旬、社長室から荻谷が興奮して飛び出してきた。自席に戻ると、部員をその場に集めて息を弾ませながら言う。

 「3月に出される人事の辞令で、井上君が課長になることになった。いま、社長から了解が取れた。俺が半年前から何度も頼んだから。え〜、あと、私 が部長になります」

部員らが拍手をする。その音は、隣の部署にも聞こえるくらいだった。

丹羽の顔がひきつる。数人の部員が「おめでとうございます」と井上に声をかける。井上は、首をくいっと前に突き出して微笑む。もうかなり前から、 仕切り屋上司との間で話が進んでいたようだった。

荻谷がすかさず言う。

 「静粛に、静粛に! まだ、辞令の前段階だから。俺が半年前から、何度も頼んだから。あと、私が部長になります(笑)」。

30代前半の女性社員である河本が言う。

 「室長がだんだんと私たちのところから離れていくみたい〜。偉くなってもいつまでも見守ってくださいね〜」

 

全身から鳥肌が立つようなこのセリフに、荻谷は細い目を一段と細めて喜ぶ。井上は「部長!」とおどけて声をかける。丹羽は黙ったままだった。何度か 唾をごくんと飲み込みながら声を出そうとするが、言葉が出てこない。

この春、丹羽は退職した。送別会はなかった。今は働く場がなく、自宅のある千葉市の「緑を守る会」の幹事をしているという。

リストラ転職の末、「勝ち組」になった井上氏と
「負け組」になった丹羽氏から学ぶ教訓

丹羽と井上は、大企業をリストラで辞めて中小企業に移った。そこには、仕切らないと気がすまない上司がいた。その上司への対応をはじめ、2人の立 ち振る舞いは大きく違っていた。

その違いに着眼すると、「負け組社員」から抜け出す術がわかる。

1)転職先の会社の実情や、組織の力に対する「理解力」に差があった

丹羽が「もっと役割分担を明確にして、権限を委譲して」などと言っていたことは正しい。確かに、この会社は役割分担ができていない。権限と責任は錯綜して いる。

しかし、多くの社員はそのことを受け入れている。心の中ではおそらく疑問に感じているのだろうが、組織としてまがりなりにも動いているのだ。

この事実を踏まえると、丹羽の言い分は受け入れられないだろう。この会社に 「異質の考え」を受け入れる力がないのである。組織として動いているのだから、あえて変わる必要がないとも言える。

会社はあくまで組織である。組織として新たに何かを受け入れるときには、明らかに稼動できなくなったとき、言い方を変えれば構成員に「危機意識」 が共有されたときである。この会社にはそれがない。正論を唱える丹羽は、単なる異端扱いをされていくしかないのだ。

2)「職場で生き抜く技術」の認識力に差があった

丹羽は、上司である荻谷のことを観察できていない。周囲の部員の動向にも疎い。だから、水面下で動いていた人事、つまり井上が課長になることも知 らなかった。

 

一方で、井上は冴えている。荻谷の「レベル」を早いうちに見抜いた。浅はかなナルシスト、甘ったれた考えしか持っていないこと、仕切らないと気がす まないこと、上には妙にウケがいいこと、これらを確実に見定めている。そのうえで、「誉め殺し」などを絶妙のタイミングで行なった。

こういうのを、「職場で生き抜く技術」と言うのである。井上は、それを若くして心得ている。丹羽は50歳を越えても、なおもこれがわからない。あ のまま会社に残っていても、少なくとも会社員人生は明るくなかっただろう。

3)自分を変えることができるか否かで、明暗が分かれた

丹羽も井上も大企業出身である。だが、転職先の扱い(待遇)は相当に違う。
その理由はいくつもあるが、要は自分を変えることができるかどうかである。

丹羽はいつまでも、大企業に籍を置いていたときの意識のままだった。それに対して井上は、自らの意識を大きく変えた。それはきっと、苦しいこと だったのだろう。これまでのプライドを捨てることが必要なのだから。

だが、井上はそれを試みた。かつての先輩から「裏切り者」と思われようと、バカになり切った。底の浅い上司に媚び続けた。得意ジャンルであるソフ ト開発の仕事も仕切り屋に仕切らせておいた。それは、心から屈辱だったに違いない。

それができたからこそ、見事に課長になった。丹羽よりも井上のほうがはるかに大人であり、「組織人」として優秀だった。

■取材を終えて

この室長は、珍しい存在だろうか。それともよくいるタイプだろうか。意見が分かれるところだろうが、自分の力で生きてこなかった人の末路として は、実にポピュラーな例だと筆者は思う。

だが、この会社は社長のビーバーが「冴えた人事」を断行した。底が浅く、仕切らないと気がすまない、しかも管理能力はゼロに近いこの男を部長にま でするのである。さすが、20代の社員からも「ビーバー」とバカにされる社長だけのことはある。

未来がある20代〜30代半ばの人には、こういった会社を筆者は勧めない。優秀な人もきっとダメになる。この会社では「勝ち組」になった井上につ いても、「今後どうなるのだろうか」とふと思った。

山形新幹線つばさラストラン

つばさ記念乗車証明書


4月18日。
山形県新庄市。気温3度。

松井は、新庄駅に向かっていた。
山形新幹線「つばさ」のラストランを見に行くために。

そうしたら、鉄道仲間が4人も来ていた。そして、彼らは颯爽と「乗り鉄」をした。
大石田か山形まで緑車で乗ろうとしたが、秋田方面に用事があるため、今回は「撮り鉄」。

僭越ながら、つばさ400系のラストランの乗車証明書を我もブログに記載させていただく。読んでいてすごく感動した。

2010年4月3日
「ありがとう400系」
つばさ18号

初めてのミニ新幹線として、私が東京〜山形間を走ったのは、1992年の7月。航空機系のノーズにシルバーの車体という斬新なデザインと、最高時 速240キロのスピードで駆け抜けた。
所要時間最短2時間27分、「小柄ながら俊足」と評判は上々だった。
福島から奥羽本線に入ると、JRの路線で屈指の美しい風景が窓外に広がる。かつて、「東洋の楽園」と賞賛された置賜地方の田園風景だ。
それが雪にすっぽりと包まれた冬景色も思い出が深い。
しかし、豪雪地帯の走行は、最新技術を搭載している私でも緊張したものだ。
18年間安全に走り通せたことが、何よりの勲章だと思う。
心からの感謝をこめて、ありがとう。


2010年4月18日
「さよなら400系」
つばさ18号ラストラン

ミニ新幹線の初代として走り続けた誇りを胸に、私は今、レールから離れることになった。
思えば18年の間に、実に多くの方々が私に乗ってくれた。
仕事の人、観光の人、通学の学生、帰郷の家族…。
さまざまな人の思いや夢を乗せて、私は山形新幹線を走り続けて来た。
ことに、お盆や年末の帰省ラッシュには、「つばさ」が最高乗車率を記録した年もあり、私もずいぶん張り切って走ったものだ。
もうすぐ東北も桜の季節になる。今年は爛漫と咲く桜を見ることができないのが心残りだが、代わりに新しい「つばさ」が桜の下を走り出す。
心からの感謝をこめて、さよなら。


山形はこれからもお世話になる。多分「のぞみ」並みに山形新幹線に乗るだろう。これからフルカラーLEDのコンセント付きの新幹線が主流になる。

県内で保存されるらしい。その時にはまた見に行こう。

新庄名物「くぢらもち」を食べながら、松井はまた「牛肉どまん中」を食べたくなってきた。

松井の髪は女の命

TSUBAKI






髪のツヤがなくなった、毛先の枝毛が目立ってきた、髪が絡まりやすくなった、白髪が増えたなど、年齢を重ねるごとに髪のコンディションが気になるように なったという女性は少なくないのではないでしょうか。そういえば周りにも、40歳を過ぎた頃から長い髪を短くする人が増えてきたような… ロングヘアは、 ハリのある若い髪だけの特権なの? そこで、Q&Aサイトを元に、ロングヘアの限界年齢について探ってみました。

●40過 ぎてもストレート・ロングヘア…どう思う?

教えて!goo「40歳過ぎの女性のストレート・ロングヘアをどう思いますか?」は、 20年以上ロングヘアを保ってきたという40代前半の女性からの投稿。同年代の友人や同級生が皆髪を短くし、ストレート・ロングの人がいなくなったため、 自分も切るべきかと悩み「オバサンにロングは不釣り合いなんでしょうか」と投げかけたところ、回答者からは賛否両論、さまざまな意見が聞かれました。

20 代前半のある男性からは「目の前にいたストレート・ロングの女性を、その後姿から高校生くらいの女性と推測していたところ、振り向いたときに思いのほか顔 立ちが老けていて、あまりのギャップで絶句してしまった」との経験談が寄せられました。さらには、他の回答者から「どんなに骨格が美人でも、そしてどんな に髪が綺麗でも、それは若い女性にこそ似合う髪型であり、若くない女性がすると『老けて見える』可能性がある」という厳しい声も。同回答者によると「すご い美人でもミニスカートがある時期を境に急に似合わなくなるように、ロングヘアも似合わなくなるときが来る」のだそう。他にも「年齢とともに髪の質が変 わってくるので、維持するのが難しい」や「ロングだと白い物が余計に目立つ」など、コンディションの面からショートスタイルを進める意見が多く聞かれまし た。

一方で、「後ろから見て美人だったら、それはそれでいいこと」であり、「まわりに同じような人がいないならば、なおのこと個性を大切 にするべき」というロングヘア肯定派の意見も。髪質やコンディション、お手入れの仕方は人それぞれ、ロングが似合うも似合わないも、年齢だけでは一概に線 引きできない部分があるようです。

●その仕草が古臭い…髪をかき上げるべからず

ところでバブルを経験した アラフォー世代のみなさん、こんな仕草、身に覚えはありませんか? 「サラッと髪をかき上げる」実はこれ、レッドカードなんです。美容ジャーナリスト、渡 辺佳子さんが指南する「Around40総研」の報告ブログには、元祖カリスマ美容師・宮村浩気氏のアドバイスとして「髪をかき上げちゃダメ。即、古い人 になっちゃいます」とあります。かつてはセクシーと持てはやされたこの仕草も、時代が変われば単なる勘違い女ということになりかねないかも… また、「分 け目はゆるいジグザグで。きっちり分けちゃダメ」との助言も。古いスタイルから脱出することで、40歳以上のロングヘアも、若者の髪型に負けないほど素敵 に映るかもしれませんね。(熊)


松井、ちょっと長い感想。

もう、(熊)・・・。

うむ。松井はずっとロングヘアでいたいな。
どんなに忙しくても髪の毛のお手入れは欠かさずにいたい。
さもないと「貞子」になっちゃうw
メジャーで測ってみたら、55cmもあるとはね。

結婚して、子どもを産んで、きれいだった人が一気に老けこんじゃう人がたまにいる。結婚したら一気にキレイになろうという意識が薄れるのかな。
子どもができたら一気にショートヘアになって、ぶくぶく太って・・・という人もいる。「忙しい」という理由でキレイを捨てたくないな。
でも、実際に松井も将来、結婚したり、子どもができたら、自分を鏡で見る余裕なくなるのかな。

話は髪の毛に戻るね。

松井は小学校時代水泳をやっていて、自然と短くしていた。その反動か、長い髪の毛を切るのは・・・大きな病気になったときかな。

正直、「ロングヘアー税」が施行されても、続けてそう。

それでも、冬の寒い時は髪がなかなか乾かなかったりして、ときどきこう思う。

「ICONIQのヘアスタイルだったら、お風呂に入るのも髪のセットをするのも楽だろうな・・・。」

ってね。

ままどおるとパルナス

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今日、ふと「ままどおる」ってどこのお菓子だっけ?神戸だっけ?と思い立ち、ググってみたら、「ままどおる」は福島県郡山市のお菓子だった。

ふむ。これは会社用のお土産に持っていける感じの粋なお菓子だ。

神戸にある(というかあった)本当のお菓子、パルナスをふと思い出した。

ずっとずっと昔に「加古川」というところに行った際に、シュークリームを買って食べた記憶がある。あとは22,3の時に友人にCMを教えてもらって、そのCMが頭の中に残るものだった。正直怖い。日曜日の夜に聞くと翌日会社に行くのが憂鬱になるCMである。

そうだ。関西に行くときに忘れていたものがあった。通天閣に行くこととパルナスを食べること。

関西には何回も行っているのだが、通天閣は見たことはあるがまだ上っていない。パルナスは現在、モンパルナスという喫茶店が阪神尼崎駅にあるようだが、まだ行っていない。あ、もう一つあった。泉の広場だ。
泉の広場は、2年前に大阪に行った時に行ったかな。
また酔っていたか疲れたいたかで、記憶がない。

来月、また神戸に行く。その時に、ふらりと立ち寄ろうかな。
5月6日、有給をとって。

殉職

木村拓也
本日、朝のニュースを見ていたら、木村拓也選手の訃報を知った。

これで、会社では木村拓也選手の訃報の話で持ちきりだった。

プロ野球の新人講習会では「うまくいかない時にあきらめるのではなく、自分自身を知って、可能性を探るのも必要」と話していた。 これからという「中間管理職」のコーチの早すぎる死。

野球で始まり、球場での殉職。 うん。殉職という言葉がすごく合ってると思う。

天国で、まず沢村投手に会って、赤ヘルの津田恒美さんに会って、キャッチボールをしていることでしょう。

ご冥福をお祈りします。

そして、巨人、日本一になるんだよ!!


2日の試合前にくも膜下出血で倒れ、広島市内の病院に入院していた巨人の木村拓也・内野守備走塁コーチが7日午前3時22分、死去した。37歳の若 さだった。宮崎県出身。通夜は9日午後6時半から、葬儀・告別式は10日午前11時から広島市西区南観音8の10の8の平安祭典広島会館で。喪主は妻由美 子(ゆみこ)さん。

2日の広島戦(マツダスタジアム)前のシートノック中、ノッカーを務めていた木村拓コーチはバッターボックス付近で突 然ふらつきながら倒れた。自動対外式除細動器(AED)による応急処置、心臓マッサージ、人工呼吸を施され、担架で運び出されて病院へ搬送された。

“球界のキムタク”との異名も取った木村拓コーチの野球人生は波瀾万丈だった。宮崎県内屈指の進学校である宮崎南高からドラフト外で日本ハムに入団した が、当初は支配下登録枠60人(現行制度では70人)から漏れ任意引退選手扱いに。当時は現在のような育成選手の制度もなく、2軍戦にも出場できず練習に 明け暮れるのみ。1年目の5月に支配下登録された。

右打ちの捕手としてプロ入りし、95年から広島へ移籍すると、投手以外の全ポジション をこなす万能選手として活路を見いだし、さらに両打ちに転向。レギュラーを獲得し、2000年から4年間は規定打席数を突破。特に全136試合に出場し、 リーグ最多の34二塁打、打率・288をマークした00年の活躍は特筆される。04年アテネ五輪日本代表にも選出された。

06年シーズン 中の巨人移籍後もいぶし銀の活躍を続け、08年には史上251人目の通算1000本安打を達成。昨年9月4日ヤクルト戦(東京ドーム)で、死球による退場 などで巨人ベンチに捕手がいなくなり、急遽10年ぶりにマスクをかぶってチームの危機を救ったのは、今後も語り草となるはずだ。

今年3月 2日、プロ野球新人研修会に講師として招かれ、西武・雄星、巨人・長野らを前に、「どうやったら試合に使ってもらえて、代えられないか。壁にぶつかったと き、僕みたいに考えると食っていける」と球界で生き抜く秘訣の一端を明かしていた。

昨年限りで現役を引退し、コーチ就任。中間管理職とも いえるコーチ業、さらに夫人、子供ら家族を広島に残しての単身赴任生活にストレスをためこんでいたと指摘する声もある。

身長173センチ と小柄で何度も現役続行の危機に陥りながら、生き残りにかける執念と工夫、努力で現役生活19年に及んだ木村拓コーチ。「自分は本当に運がいい」と語って いたが、指導者としても将来を期待されていただけに、早すぎる死はあまりに惜しい。

球界は今年に入ってから、1月17日に今季日本ハム1 軍投手コーチを務めるはずだった小林繁氏が57歳で心筋梗塞による心不全で急逝。2月5日にはオリックス・小瀬浩之外野手がキャンプ地の沖縄・宮古島のホ テルで転落死と、過去に例がないほどユニホーム組の死去が相次いでいる。

■木村 拓也(きむら・たくや) 1972年4月15日、宮崎県生 まれ、享年37。宮崎南高から1990年オフにドラフト外で日本ハム入団。95年に広島へ移籍し、どこでも守れるユーティリティープレーヤーとして存在感 を示した。2006年に就任したブラウン監督(現楽天監督)の方針で二軍暮らしとなると、移籍を志願し、同年6月にトレードで巨人へ。チームのリーグ3連 覇に貢献した。現役19年間で通算1523試合出場、1049安打、53本塁打、280打点、103盗塁、打率・262。00年以降は広島、巨人を通じて 背番号0。1軍内野守備走塁コーチに就任した今季は84を付けていた。


入学式

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さくら

ブログをいじってみたらカラーができたり、フォントがカラーにできたり。久々にブログが派手になりけり。

今日は入学式。
松井の学生募集の戦略が若干恣意的だったのか、男子学生が7割という結果になった。
ただ、定員を大幅に超えた学生が入学してくれ、大助かり。

18、19歳の初々しい新入生の姿を見て松井もうれしくなってきた。

彼らに教えることもあり、学ぶこともあり。

4年後立派な医療人になって、松井が片マヒになったときにリハビリをできるような人材に成長してほしい。

SEIYUニトリあえ〜ずIKEA♪

seiyuニトリあえずIKEA

「♪せいゆう〜にとり〜あえ〜ずいけや」という歌声に乗せて外国人夫婦が家具・雑貨類を購入する、西友のCM『新生活のうた』編がTwitterなどで評判になっている。印象的なメロディーもそうだが、話題の中心は「“ニトリ”や“イケア”などの名前を言っている?」というもの。西友の広報によると、今回のCMの中で歌っている歌詞は「西友にとりあえず行けや」だそうだが、ライバル会社の名前をもじったCMは日本ではあまり見られないだけに、視聴者の間で強烈なインパクトを放っている。

【写真】「西友ニトリあえずイケア」に聞こえる? 西友のCM『新生活のうた』編その他のカット

 CMの企画意図について問い合わせたところ、同社は「新生活に向けて、西友に来ていただければ、生活用品一式が低価格で揃うということをお客様に知っていただき、まず西友に行ってみようと思っていただきたいというメッセージが込められています」とコメント。

 同社は“KY(価格安い)”をテーマに、食品はもちろんのこと、日用品や衣類、家電製品、家具・雑貨類などもリーズナブルなプライベートブランド品を続々と発表しているが、スーパーマーケットのイメージは根強い。そこで、「衣・住・食の全てのカテゴリーの様々な商品が低価格で揃う場所だということを、お客様にインパクトがある形でご紹介したい」(同社)という思いから、個性的なCMの企画に至ったという。

 このCM『新生活のうた』編以外でも、「俺は絶対都会の暮らしに負けねぇ〜!」と絶叫するストリートミュージシャンが登場する『負けねェ』編、空港ロビーを舞台に繰り広げられる『ムーンウォーク』編など、西友は昨今、インパクトのあるCMを立て続けに打ち出しているほか、WebサイトではCMに登場する外国人夫婦を登場させたミニゲームも展開。このような同社の施策は、メインターゲットの主婦層はもちろんのこと、総合スーパーへ行く機会が少ない若い世代にも受け入れられているようだ。


松井コメント:西友よ、思い切ったCM作ったよと思った。ニトリとIKEAが抗議の電話してこないか心配だよ。
ただ、ニトリとIKEA、西友をライバル視しているか、悠然とカモにしているか…。

エズカック

雪上サッカーモンテディオ

当校では入学式に向けて急ピッチで準備が進められている。そんな最中に、パート職員から助けを求められた。

「松井さん、じ、実習病院の件でお電話が入っていて、FAXが来ているんですが・・・なにをいっているかわかりません」



話を聞くと、山形の某病院から実習関係に関する書類を送ってきたという件。
ちなみに実習とは、最終学年の4年生が病院に臨床実習をすることである。2ヶ月間実習生を受け入れてくれるかもしれない病院からの電話だった。

松井はとりあえず応対した。

・・・。


確かにエズカックと言っている。

ん?

FAXに「(1)」と明記されており、何かごちゃごちゃと書いてあるぞ。

つまり、「(1)【標準語では”かっこいち”】」の内容についての問い合わせで、山形では「(1)【かっこいち】」を「いちかっこ」と読むのである。ちなみに?は「いちまる」と読む。

モンテディオサポーターの中でこう言っている方がいて、松井はなんとなく東北弁・・・もとい山形弁を自然に解するようになっていた。

ちなみにエズカックとは、「(1)【かっこいち】」の山形弁「(1)【いちかっこ】」が訛ったものだと推測。

松井、任務終了。来年から、複数名の実習生受け入れ成功か?

この1年で山形弁を聞き取れるようになった松井は、新たな成長を実感した。

(山形県人、怒んないでぇ

春日部の張り子人形店

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サッカー観戦後、友人宅に泊まり、翌朝例のごとくサンデーモーニングの「喝」を見てから一行は車を走らせた。
行先は、春日部の張り子人形店「玩古庵」である。

われわれサッカーファンたちがサッカー観戦の次に楽しむ「コロプラ」のスポンサーお土産(※)である。

最初は「高そうだなぁ」と思っていたが、実際行ってみると一つ一つの製品がとっても良い!!今まで何店舗か行ったが、すごくすごく良いのだ。

ん?張り子のデザインを自由にカスタマイズできるだって??

というわけで、モンテディオ山形のユニフォームを着せることにしました。(イメージは下記画像参照)
montedio


完成次第、ブログにアップします。

さて、浦和レッズの勝利に加え、モンテディオ山形の初勝利!!
モンテディーオ、やまがーたー、フレー、フレー、ヒップ、ヒップ、フレー☆


※スポンサーお土産とは
株式会社コロプラのスポンサーとなっている企業・店舗・施設に行き、実際に買い物を行う事で手に入れることができる。 対象となる店舗は2010年3月現在44店舗ある。

買い物を行った際にコロプラのユーザーである事を申請し、会計時に金額に応じて、対象のお土産がデザインされているトレーディングカードであるコロカをもらい、カードに描かれたデータ(パスワード)を用いてコロプラ上でお土産を購入する。

コロカは一箇所につき、金(配布対象5000円購入、お土産10個購入可能)・銀(配布対象2000円購入、お土産4個購入可能)・青(配布対象 1000円購入、お土産2個購入可能)の三種。金額によってもらえるカードが違い、カードによってコロプラ上で買えるお土産の数量が異なる。
松井は商業目的だなぁと心から思いながら、1,000円、2,000円と松井のお小遣いの範囲内で嗜めるため、現在12種類持っている。

コロプラをやってみたいという方は、松井夫人にご一報ください。

We are REDS PRIDE OF URAWA

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4月3日。
というわけで、松井、初浦和レッズ戦を見に行きました。
相手は湘南ベルマーレ戦。
安全パイの試合とはいえ、最後に1点を奪われたのは痛かった。
2点を入れたときの観衆の歓喜☆
みんな真っ赤。浦和美園駅も真っ赤。近くのイオン浦和美園のフードコートも真っ赤。

再来週は、いよいよ山形ホーム戦。

7552efc7.jpg今回は、松井の所感を冒頭に乗せる。

これは、●年前、学生時代の松井に喝を入れたい文章でもあるし、「大人になりきれていない」社会人に対して贈るメッセージだと思うから。
この就職活動生、どういった人となりか容易に想像できるので、勝手に彼にチャチャを入れてみた。

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この就職活動生、どうやら内定もらったみたいだね。

君、リベラルな雰囲気の学校を卒業して、きっと勉強も出来て、リーダーシップもあって、優秀な方だと思う。でも、自由をちょっと履き違えていて、「常識」とか「普通」という言葉が大嫌いな人なのかな。
そうしたら、きっと松井、君と共感できる部分を持っていて、きっとどうでもいい理論を夜通し話していたと思う。
わかるわかる、君は、わたしと同じ高校出てるみたいだし、きっとあの自由な風土で伸び伸びと育ってきたんだと思う。心の中では「俺様は●●高校、●●大学出てるんだぜ!ゆとり教育なめんなよ!!」って思ってると思う。

でもね、まだ君、田舎帰りたくないでしょ。君も東京でデカイ人間になりたいんだよね。

でも、三流OL松井から見て、君に適当にアドバイスする。あまり役に立たないけど。

会社でお金を稼ぐということは、ある程度の自由が奪われることだと思う。でも、上司との飲みニュケーションは絶対勉強になるよ。組織に合わせることは最初はつらいかもしれないけど、お金を稼ぐということはある程度我慢しなければならないのね。
君にとっては、●年目のわたしは使えないお局OLかもしれない。でも、君の作ったビジネス文書の修正とか議事録の悪い点とかみることはできる。あとさ、君から見て、わたしの悪いところとか見てほしいんだよね。
君は、学生時代、「勉強会」とか「オフ会」とかたくさん行っていたみたいだね。わたしも実は結構行っていた。

でもさ、オフ会や勉強会で学べることと上司から学べることって違うのね。君って、面接の時にビジネス本5冊ぐらい持っていたじゃん。そういったビジネス本は松井、薦めない。それするんだったら、そうだね。。。「五輪書」でも買ったほうがいい。オリンピックの公式ガイドブックじゃないよ。
ああ、そうか。本はキライか。なるほど。だったら、「龍馬伝」だ。NHKの大河ドラマを見る。あとは、「坂の上の雲」のDVDを借りる。

さて、君も新入社員だね。7月に「辞めたい」って泣き言言わないで。まあ、とりあえず、困ったらまず、わたしにホウレンソウね。
え?君!?ホウレンソウも分からないの??

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 リクルートで「リクナビ」「ケイコとマナブ」「就職ジャーナル」を歴任し、現在は人材育成コンサルタントとして活躍する前川孝雄氏。とある就職セミナーに講師として招かれた時に、貴重な経験をしたといいます。
 
 前川氏が社会に出て働く意味などを大学生に話していたのですが、最後の質疑応答でひとりの学生が噛みついてきたのです。

 「お話を聞いていると、自分のやりたいことがあっても、それをねじ曲げて会社に合わせろと言っているように聞こえます。僕はやりたいことがあります。どうしてそれをねじ曲げてまで会社に合わせないといけないのですか?  それが就職というものなんですか?」

 実に大学生らしく、毎日のように同じ意見を聞いている前川氏は微笑ましく感じていたのですが、隣に座っていたある企業の40代管理職の方は違ったようです。
 
 突如、烈火のごとく怒って「お前は何様だ!  そんなにやりたいことがあるんだったら、就職なんてしなくていい。ひとりで会社でも作りなさい!」と、その学生を怒鳴りつけたのです。会場はシーン。叱られた学生は見るからにショボンとしてしまい、会場には何ともいえない空気が漂いました。

 しかし、話しはこれで終わりません。セミナーが終わって控室に戻る途中、さきほど怒鳴った管理職の方が、前川氏に「さっきの彼いいね」と言ったのです。

 学生や20代の会社員のみなさんは、この言葉の意味がわかりますか? 

  答えはシンプルです。管理職の方は続けてこういったそうです。「あいつみたいな奴が部下なら、徹底的に鍛えたいな」。実は噛みついてきた彼の尖っている部分を評価していたのです。骨があると思ったのでしょう。ですが、ストレートに褒めるのではなく、一度叱ってみせたのです。

 難しいですよね、大人が何を考えているかって。大人や先輩の社会人はとにかく「自分探し」「自己実現」をあまりよくは思っていないのです。むしろ毛嫌いしている程。
 
 それは、本当にやりたいことができるのが、社会人として20年くらい経って、人と組織をちゃんと動かせるようになってからだということを、自身の経験から知っているからなのです。学生に人気のある大企業なら、なおさらそうでしょう。

 本当のことをいうと、社会人の経験の長さは、その人の実力がそのまま反映されるし、「丁稚奉公」には若者が思っている以上に大きな意味があります。これは昭和だろうと平成だろうとあまり関係のないこと。

 ですが、最近の若い人は、自分のやりたいことを今すぐにやらないと意味がない、成長できないと信じ込んでしまっているようです。良くいえば真面目なんですが、悪くいえば視野が狭い。

 物心ついてから10年くらいの間に決めたこと、もっと言えば、就職活動中の半年から1年の間に自己分析した結果で、自分の人生を決めてしまっていいのでしょうか。皆さんも正直なところ、自分のやりたいことが本物なのか、と常に逡巡しているのではないでしょうか。
 
 少し社会人を経験し、もっと軽くこまじめに会社(社会)の仕組みを理解したうえで、そのなかをうまく泳いでいこうと考えてはどうでしょう。そのためにはまず、「会社組織のなかで会社員として働くこと」を正しく理解することが必要なのです。

『勉強会に1万円払うなら、上司と3回飲みなさい 』
著者:前川孝雄
出版社:光文社
価格:777円

松井、結婚するとはね

6fc01138.jpgどうやら、結婚するそうです。
相手は、東北出身の関東近郊の市役所に勤める普通の男性。
昨年の夏にひょんなことから知り合って、急速に仲が発展し、この度、結婚することになりました。

7月に28歳になり、ぼちぼち自分の独身人生にもケリを付けようと決意しました。
結婚しても、仕事は続けます。せっかく軌道に乗ってきた仕事だし、のんびり公務員の夫と当分の間二人三脚で頑張っていこうと思います。

今後とも、よろしくお願いします。








































と、4月1日の前日、3月31日の20時頃に旧友からメールが来て、松井、ビックリ。
結婚の声が近くまで聞こえてきた。
松井もそろそろ動かなくては。はたまたのんびり待つか。

1月は行く、2月は逃げる、3月は去る。ってある人のブログで書いてあったな。
鉄子的感覚で行くとN700系ののぞみに乗っていて、1月が京都、2月が新大阪、3月が新神戸。それぞれの駅に停まるんだけど、気がついたら過ぎてしまう。

明日から4月1日。松井、東京に来て、ついに10年目になる。
(そろそろFAしたい・・・。)

livedoor プロフィール

we-are-reds0729

関東在住12年目。
野球とサッカーと旅と電車(特に私鉄)とグルメが趣味。
野球の贔屓は巨人だが、選手レベルで好きなため、どのチームの試合も好んで見ます。
サッカーは浦和レッズ兼モンテディオ山形のサポーター。年間チケットを手に、年間20回は埼玉スタジアムで飛び跳ねています。好きな選手は槙野智章と原口元気。

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